【ABC特集】「さよならなんですけど、ずっと永遠に僕らの心の中に残る」 妙見ケーブルが63年の歴史に幕
昭和35年当時の車両がいまだに現役で稼働
1925年(大正14年)に神社を参詣する人のために建設された妙見の森ケーブルは、太平洋戦争の影響で一度廃線。1960年(昭和35年)に能勢電鉄が復活させました。いまも当時の車両が現役で人々を運び続けています。
妙見の森のすべてが閉鎖に
ケーブルカーの終着点「山上駅」のさらに先にある頂上付近に向かうリフト。山頂の神社へ向かう人をゆっくり運びます。自然をより近い距離で感じられると人気でしたが、こちらも営業を終了します。さらに、バーベキューが出来る広場などのレジャー施設も閉鎖することが決まりました。
廃線を発表してからは別れを惜しむ多くの人たちであふれ、これまでにない賑わいを見せています。 (妙見山登山歴20年以上の谷口喜一郎さん(81)) 「前は半年前ぐらいに孫と一緒に登ってきて、山といえば妙見山ですからね。やっぱり自然に恵まれてるというか、季節季節によって雰囲気が違うのでそれが楽しいというか」
(家族で来た西中健史さん) 「春と秋はいつも毎シーズン来ていたんですけど。娘2人うまれてきて赤ちゃんの時からベビーカーに乗せて来ていました」 西中さんの娘の愛理さんと結理さんは生まれたばかりのころから、妙見の森で遊んできました。妻の恵理子さんも、子どもの頃からおじいちゃんと一緒にケーブルやリフトに乗っていたんだそう。
(妻・恵理子さん) 「バーベキューも楽しいし、ケーブル・リフトに乗るのも子供たちもすごく楽しみにしていて、すごく思い出があるので」 (西中健史さん) 「なくなってしまうのはさびしいですね。いつでもずっとある物だと思っていましたから」 最終日も家族みんなでお別れに来るそうです。
普段は10人ほどで運営
普段は10人ほどで運営しているという妙見の森。土谷さんの仕事はというと・・・。 ボタン一つで運転手のいないケーブルカーを制御したかと思えば、駅でお客さんを案内。さらに、ケーブルカーの駅からリフト乗り場へ移動。 (記者)「リフトまで来られるんですね」 (土谷さん)「そうですねいろいろ交代しながらやってます」 土谷さん、1人で何役もこなし大忙しです。この日の乗客は3082人。1年で最も忙しいゴールデンウィークの時期の約3倍でした。 (土谷さん)「いろんな層の方がいらっしゃってまして。終わりということで皆さんいろんな思いが詰まってはるのかなっていうのはすごく感じますね」 (記者)「残すところ数日間ですけども」 (土谷さん)「そうですね。安全第一で頑張りたいと思います」