雅子さま 一部で体調不良報道も…誕生日文書でも示された能登救済への「身を削る努力」
61歳のお誕生日を迎えた雅子さまは、天皇陛下と沿道から上がる歓声にお手を振って応じられていた。12月9日、上皇ご夫妻に挨拶されるため、お住まいの仙洞御所を訪問された両陛下。雅子さまの眼差しは、ご決意の光に満ちあふれているようだった――。 【写真あり】61歳のお誕生日にあたり公開された天皇陛下と雅子さまの仲睦まじいお写真 「この日雅子さまは皇族方、石破茂総理をはじめとする三権の長、宮内庁長官以下の幹部たちといった、多くの方々から祝賀を受けられています。 ご夕食も、お祝いの御膳を天皇陛下と愛子さまと囲まれ、和やかな時間を過ごされたそうです。とはいえ、単なる“祝賀気分”でお誕生日を迎えられたわけではありません。この日公表される“ご感想”へのご準備、そして年末にかけての“大任”に臨まれるにあたり、雅子さまは身を削るように、ひたむきなご努力をなされていたのです」(宮内庁関係者) 雅子さまが毎年お誕生日に公表される“ご感想”。国内外に広く視野を向けながら、さまざまなおつとめに臨まれるにあたって熟考された事柄を、雅子さまが真摯に文書につづられるものだ。今年は冒頭から、能登半島地震について言及されていた。皇室ジャーナリストは、 「今年は国賓として英国を訪問され、チャールズ国王夫妻から心のこもったおもてなしを受けられ、その感謝を記されていました。 そして特筆すべきは、元日に発生した能登半島地震の被災地への記述でしょう。“ご感想”の冒頭から、被災者の困難に心を寄せられ続けていること、そして懸命に復旧・復興に向けて尽力している関係者たちへの敬意と感謝について、全体の4分の1もの文量でつづられているのです」 雅子さまは皇室に入られる前の思い出についてふれつつ、 《私自身、学生時代に友人との旅行で能登半島を訪れたことがあり、楽しく、大切な思い出の詰まった能登の地で、多くの人々がこのような大きな試練に直面していることに、心が締め付けられる思いが致しました》 と、大地震に続く9月の豪雨という能登地方の人々の苦難に、お心を寄せられる内容となっていた。 「お誕生日の前には、“雅子さまが12月1日に行われた愛子さまお誕生日の祝賀行事を一部欠席された”という報道もありました。10月から11月にかけての地方ご公務や園遊会、先月薨去された三笠宮妃百合子さまの弔事もあり、たしかにお疲れもためられていたのでしょう。 しかし雅子さまは“被災者へのメッセージは絶対におろそかにしない”という強い使命感から、精いっぱいの力で文面の推敲に臨まれていたと伺っています」(前出・宮内庁関係者)