経営者、指導者、営業…三者三様のセカンドキャリア 徐々に去りゆく北京五輪世代【コラム】
梶山陽平以外の全員がフル代表に選出された北京五輪代表世代
ヴィッセル神戸のリーグ連覇、天皇杯との2冠達成で幕を閉じた2024年のJリーグ。そんなシーズンで現役を退いた選手も少なくない。 【移籍動向リスト】Jリーグの最新移籍動向一覧 元日本代表クラスで言えば、2011年アジアカップ(カタール)制覇のメンバーである細貝萌(ザスパ群馬)、2014年ブラジル・ワールドカップ(W杯)メンバーの青山敏弘(サンフレッチェ広島)、2016年リオデジャネイロ五輪にオーバーエイジ枠で参戦した興梠慎三(浦和レッズ)ら30代後半の面々が目立つ。 彼らは85~88年生まれの北京五輪世代だ。改めて思い返すと、2008年の北京五輪に挑んだ日本代表は3戦全敗で全くといっていいほど結果が出なかった。しかしながら、本大会メンバー18人中、梶山陽平(FC東京アカデミーコーチ)以外の17人がのちの日本代表になっている。指揮を執った反町康治監督(現清水エスパルスGM)が、まだあまり実績のなかった吉田麻也(LAギャラクシー)を抜擢したことを含め、慧眼が高く評価されたこともあった。 実際、アルベルト・ザッケローニ監督時代からバヒド・ハリルホジッチ監督時代にかけて、本田圭佑、長友佑都(FC東京)、岡崎慎司(バサラ・マインツ監督)、香川真司(セレッソ大阪)ら北京世代が代表をリードしていたのは間違いない。この世代が日本サッカー界に残した功績は大きいのだ。 2024年のJリーグ引退組で北京五輪のメンバーだったのは細貝だけ。青山は最後の最後で落選し、興梠はその後に伸びてきた人材で、彼らはそれぞれに紆余曲折のキャリアを歩んできた。 まず細貝だ。前橋育英高校から2005年に浦和レッズ入り。当時の浦和は田中マルクス闘莉王や鈴木啓太、長谷部誠(日本代表コーチ)らタレントがひしめき、細貝はコンスタントには試合に出られなかった。それでも反町監督は「細貝は才能がある」と言い続け、五輪代表に呼び続けた。本人もその配慮に今も感謝しているという。 2008年以降は徐々に出場機会を増やし、2010年に鈴木を押しのけてボランチの主軸に君臨。この活躍が評価されてザックジャパンに招集され、翌2011年1月にはドイツ1部のレバークーゼンへと移籍した。そこからレンタルされた当時2部のアウクスブルクでブレイクを果たして1部昇格に貢献。2011-12シーズンは同1部で32試合出場3得点と好結果を残した。