経営者、指導者、営業…三者三様のセカンドキャリア 徐々に去りゆく北京五輪世代【コラム】
ドイツで活躍も代表では遠藤と長谷部の壁に阻まれた細貝「目を背けてしまいがち」
この頃のドイツでは、ボルシア・ドルトムントに所属していた香川がすさまじい活躍を見せていたため、細貝の存在感がやや薄れがちだった部分は否めないが、同年と2年後の2013-14シーズンにヘルタ・ベルリンで残した足跡は高く評価すべきだ。彼自身も「監督のヨス・ルフカイさんに信頼され、自信を持ってプレーできた」としみじみ言う。最高の師弟関係によって、彼のドイツ時代は充実したものとなった。 類まれな実績が代表に活かされればよかったのだが、当時は遠藤保仁(ガンバ大阪トップコーチ)と長谷部がおり、ほかの選手が割って入るのは難しかった。細貝は「シンプルに自分の実力不足というところがあったし、ドイツで継続的に試合に出ていたこともあって、自分自身の代表における状況から目を背けてしまいがちでしたね」と本音も……。2014年W杯に出ていたら、その後の人生も変わっていたかもしれないだけに、悔しさはひとしおだったことだろう。 挫折、そしてトルコ、タイでのプレー経験も含め、彼は故郷・群馬の社長としてクラブに、サッカー界にそれを還元していくはず。2025年にはいきなり経営トップという大役を担うことになるが、ピッチ上で磨いた柔軟性と適応力、粘り強さを新たな仕事の場で発揮していくに違いない。 その細貝にとって代わるようにブラジルW杯を射止めたのが青山だった。2014年前半のザックジャパンは長谷部が長期離脱、遠藤も2013年にJ2でのプレーを強いられ、少し不安要素を抱えていた。そこでザック監督は長谷部のバックアップに山口蛍(ヴィッセル神戸)、遠藤のバックアップに青山という選択をした。タテ1本で局面を変えられる類まれなパスセンスを誇る広島のボランチに、いざという時を託すことにしたのだ。 実際、その場面はやってきた。日本がコートジボワールに負け、ギリシャに引き分けて崖っぷちの状況に追い込まれた状況でのグループリーグ最終戦のコロンビア戦だ。青山は長谷部とボランチを組んで初先発初出場を果たしたが、後半から出てきたハメス・ロドリゲスにズタズタにされ、最終的には1-4で完敗。途中でベンチに下げられ、試合後に人目をはばからずに号泣することになった。