東武「伊勢崎線の旧業平橋駅」から大変貌の今「とうきょうスカイツリー」の旧駅名が「業平橋」さてその前は?
東武スカイツリーラインのターミナル、浅草を出発した電車が隅田川を渡ってまもなく到着するのが「とうきょうスカイツリー駅」だ。その名の通り、“世界一高い電波塔”で知られる東京スカイツリーの最寄り駅で、その足元に広がる「東京スカイツリータウン」に隣接する。 【写真を見る】「?」→「?」→「業平橋」→「とうきょうスカイツリー」と名称が変遷した駅の当時の様子。現在進行中の工事が終われば見納めになってしまう光景も 2020年、隅田川橋梁に歩行者用の通路「すみだリバーウォーク」が設けられ、高架下の商業施設「東京ミズマチ」と合わせて浅草からスカイツリーまで線路沿いに歩いていけるようになった。
■駅名の変遷が物語る 駅名は東京スカイツリーが開業する約2カ月前、2012年3月17日に改名した。路線名の「東武スカイツリーライン」も同日、伊勢崎線の浅草・押上―東武動物公園間の愛称として付けられた。 つい15年ほど前までは「伊勢崎線の業平橋駅」だった同駅は、いまや「スカイツリーラインのとうきょうスカイツリー駅」へと大変貌した。ただし、きっぷ売り場の路線図などには「旧・業平橋」といまも併記されている。さらに経歴をさかのぼれば20世紀初頭の開業時は「吾妻橋駅」という名称だった。
【写真を見る】「?」→「?」→「業平橋」→「とうきょうスカイツリー」と名称が変遷した駅の当時の様子。現在進行中の工事が終われば見納めになってしまう光景も 東武鉄道の路線の歴史は北千住―久喜間39.9kmが開業したことに始まる。1902年4月1日に北千住から現在のとうきょうスカイツリー駅である吾妻橋駅までの6.3kmが結ばれた。1897年の曳舟から同駅までの区間の免許申請時には「小梅」という駅名だったようだ。
1904年、東武鉄道が曳舟―亀戸間を開通させ、亀戸から現在のJR総武本線にあたる総武鉄道に直通して両国橋駅(現・両国駅)に乗り入れるようになると、“枝線”となった曳舟―吾妻橋間は廃止された。亀戸からはさらに越中島へ延伸して都心のターミナルとする計画があった。 ところが1907年に総武鉄道が国有化され、乗り入れが終了した。東武鉄道は1908年に曳舟―吾妻橋間の貨物営業を再開、1910年には吾妻橋駅を「浅草駅」に改称して旅客営業も再開した。1912年には京成電気軌道(現・京成電鉄)のターミナル駅として東側に押上駅が開業している。