「憎いね、津波」手漕ぎの木造船『さくば』はもうない“最後の船大工”橋浦武さん(81)が小さな模型に託す『震災の記憶』
■「津波が憎い」子どもたちに語る本音 初めのうちは「ふなだいく」という言葉の意味がいまいちピンと来ていなかった様子の児童たちでしたが、「この船を作っていたのが、橋浦さんなんだよ」と改めて紹介されると「船を作る大工さんなの?すごい!」と、尊敬のまなざしを向けていました。 児童: 「船はひとりで作るんですか?」 橋浦武さん: 「さくばの場合はひとりでも大丈夫」 児童: 「もっと大人数で作るのかと思った、橋浦さんすごい」 子どもたちから次々と質問が飛ぶなか、こんな本音をこぼす場面も。 児童: 「道具は何種類使っていますか?」 橋浦武さん: 「いっぱい使うよ。船づくりの独特の道具もある。でも、みんな津波で流されちゃった。憎いね、津波」 ■閖上の船の文化と海の豊かさを伝え続ける 災害公営住宅への入居や商業施設の開業が進み、震災から8年後の2019年、「まちびらき」をした閖上地区。 これからの新しい閖上を担う子どもたちに橋浦さんが伝えたいのは、この地域で受け継がれてきた船の文化と海の豊かさです。 橋浦武さん: 「沿岸部は船が生活の一部だった。それで発展していったのがここ。そういうことを伝えていきたい」 授業を受けた児童からは「閖上が好き」という言葉が。 児童: 「船の仕組みとか魚の名前とかいろいろなことが知れて楽しかった。さくばのことは初めて聞いた。閖上は海が近くて、川もあって、釣りもできて、いろんなことができるところが好き」 「船の大工さんの最後の人がいるってわかった。震災前の写真はいまと全然ちがった。閖上は魚がたくさんとれるところが好き。赤貝も好き」 小さなさくばの模型を手に、はにかみながら橋浦さんはこう語ります。 橋浦武さん: 「私は授業というより、子どもたちの元気を受け取りにきているからね。いまの子どもたちは震災前のことは全然わからないと思う。それをどう伝えていくか。いろんなことを学んでほしいね」 閖上の最後の船大工は、小さな「さくば」に思いを託します。
東北放送