「憎いね、津波」手漕ぎの木造船『さくば』はもうない“最後の船大工”橋浦武さん(81)が小さな模型に託す『震災の記憶』
橋浦武さん: 「6号線、10号線が通ったことでずいぶん流通が変わった。車の便もね」 そのわずかに残っていた「さくば」は、震災の津波ですべて流されました。 橋浦武さん: 「本当にすべて流された。私もずいぶん探した。でも無かった。跡形もなくなった。残骸も見あたらなかった。貞山堀、漁港、名取川にもかなりあったのに、無かった」 ■震災では自宅も大工道具も失う 2011年3月11日。沿岸部に暮らしていた橋浦さんはこの日、用事のため市内に外出していました。 橋浦武さん: 「保健センターで用事があった。ベニマルで買い物していたら地震があって、屋上に車を停めるようになっているから天井が落ちてくるかと思った。大体落ち着いて、お客さんは外に出て、ということでしばらくして解散しますと。うちに帰るかなと市役所に寄ったら、家には帰らないでくださいと言われて、増田中学校に避難して」 自宅は津波で流され、大切にしていた大工道具のほとんどを失いました。 さくばの設計図も流失し、いまでは閖上の住民でもその存在を知る人は少なくなってきています。 橋浦さんは、被災した自宅跡から見つかった数本のノミとカンナを使って、10分の1ほどのサイズのさくばの模型を作っています。小学校や公民館で講話をし、閖上のまちの歴史を子どもたちに伝えるためです。 ■「さくば」の存在を後世に伝えたい 11月26日。閖上小中学校の3年生の児童を前に、橋浦さんが講師として特別授業を行いました。 スクリーンには、震災前の閖上の写真。子どもたちにクイズを出します。 司会: 「この船、なんていう名前かわかる?3文字です。」 児童: 「ボート!」「カヌー!」「ヨット!」「ぎょせん!」 司会: 「みんな絶対出てこないと思うんだけど、覚えてほしい。なぜならこれは、閖上でしか通じない言葉。閖上だけで使われている言葉なんです」 橋浦武さん: 「これは、『さくば』という小舟です」 さくばに自転車を載せて向こう岸まで渡ったり、しじみとりにでかけたりしたことなど、川の流れとともにあった人々の生活の様子を子どもたちに語りました。