36歳のときに100万ドルの資産があった私は、40歳からは自分の情熱を追い求めると誓った(海外)
かつて、ジョージ・アップリング氏はビジネスコンサルタントとして働いたのち、国際的な大企業で幹部職に就いていた。 【全画像をみる】36歳のときに100万ドルの資産があった私は、40歳からは自分の情熱を追い求めると誓った 36歳までに銀行口座に100万ドル(約1億5000万円)を貯めていたが、40歳からは自分の情熱を追い求めると誓った。 今はテキサス州で中世フェアを運営し、みずから剣闘ショーを披露している。 以下のエッセイは、 ジョージ・アップリング氏との対話をもとにしている。長さとわかりやすさの観点から編集を加えた。 私はキャリアをスタートさせ、典型的なアメリカンドリームの道を歩んだ。私は堅実な中産階級の出で、母は教師、父は会計士だった。ふたりとも、家系から出た最初の大学卒業者だったこともあり、私がテキサスA&M大学に入学し、経営学を学び始めたとき、とても喜んでいた。 卒業後、経営コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー(McKinsey & Company)に就職し、ビジネス・アナリストとして働き始めた。数年後には、同社の資金援助を得て、ハーバード・ビジネス・スクール(Harvard Business School)にも通った。コンサルタントとして世界を飛び回りながら、多くの企業の戦略的な疑問に答える日々を送っていた。 最終的には幹部となり、のちには非公開の携帯電話販売会社のCEOに就任した。その会社の収益は10億ドル(約1500億円、1ドル=150円換算:以下同)を超えていた。儲かる商売だった。36歳のとき、私の銀行口座には100万ドル(約1億5000万円)の貯蓄があった。 私は自分の仕事が好きで、扱っているテクノロジーにも愛着があったが、それらは情熱の向かう先ではなかった。私のやっていたことは、すでに豊かな会社をさらに豊かにすることだった。悪いことではないが、それに人生のすべてを費やす気にはなれなかった。 そこで私はズボンのポケットからブラックベリー端末を取り出して、私が40歳になる誕生日に予定を書き込んだ。たったひとこと「ストップ」と。その日が来たら、世界が私に求めることではなく、自分がやりたいことをして生きていくと決めたのだ。