36歳のときに100万ドルの資産があった私は、40歳からは自分の情熱を追い求めると誓った(海外)
世界中どこにいても、毎年地元のフェアに戻ってきた
中学生だったころ、学校の遠足で初めてルネッサンス・フェア(Renaissance fair)を訪れた。そこに一歩足を踏み入れるやいなや、自分の家を見つけたような気がした。心が満たされ、ずっとそこにいたいと思った。 16歳になってからは、毎年欠かさずテキサス・ルネッサンス・フェスティバル(Texas Renaissance Festival)に行くことにしている。たとえオーストラリアやイギリス、あるいはロシアに仕事で滞在していたとしても、開催日には必ず戻ってきた。私はそこでの音楽が、動物が、手工芸が……すべてが気に入っているのだ。 ざっと計算しただけで、ルネッサンス・フェアを運営している人は大儲けをしているとわかった。そのとき、自分の好きなことをビジネスにできると気づいた。2010年2月、私はシャーウッド・フォレスト・フェア(Sherwood Forest Faire)を共同創業した。オースティン郊外を拠点とする中世的なルネッサンス・フェアのことだ。そのとき、私は40歳──予定通り、自分の夢を追い始めたのだ。
ビジネスでの会議からフェアでの乾杯へ
私は、CEO職を辞してフェアに専念するリスクを負ってもやっていけると思えるほど、経済的には安定していた。2012年から2014年までの2年間は、この事業の構築に集中した。加えて、闘技に関する理解も深め、剣闘ショーも披露するようになった。 ある日、フェア会場でまさに馬にまたがっていたとき、古い友人が電話をかけてきて、彼が始めようとしている事業について話した。私は、今は衣装を着ているところなので話せないと説明したが、友人はそれでも自分のテクノロジーを見に来てくれと、私を招待した。私は友人のつくったものに感心して、彼とともにソフトウェア会社を立ち上げることにした。 2015年から2018年まで、私はフェアの運営とテック企業の立ち上げの両方に携わっていた。毎年2月には、フェアのシーズン開始直前に開催される業界の主要イベント、モバイル・ワールド・コングレス(Mobile World Congress)に出席するためにバルセロナへ飛んだ。そこで深夜2時まで起きていて、飛行機をつかまえてオースティンに戻り、真夜中の乾杯でフェアの開催を告げるのである。 過酷なスケジュールだったが、そんな生活がとても気に入っていた。