「外から『家、潰れとる!』と近所の人の悲鳴が聞こえた」能登半島地震で被災した家族の体験
輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透さん。ご実家は輪島市の中でも珠洲市と隣接するエリアにあり、1月1日の能登半島地震で被災、完全に倒壊しました。 藤本さんは発災から28日後、家族との再会を果たし、当日何が起きたのかを被災したご両親と帰省中の妹さんから聞き、記録をX(旧ツイッター)で発信。その内容は「冷静な筆致だけに緊迫感がすごい」「自分が直下型地震に見舞われて被災する場合にどう備えるか、ケーススタディとして完璧」と反響を呼んでいます。ご許可をいただき、投稿内容に一部加筆・編集のうえで配信します。
**** シナリオライターの藤本透と申します。現在は東京都在住です。私の出身である輪島市町野町は、令和6年能登半島地震において甚大な被害を受けました。 発災直後から通信が途絶え、辛うじてその日の夜遅くに妹が公衆電話から全員の無事と家屋の全壊を知らせてくれてからというもの、三週間の間ほとんど連絡が取れずにおりました。 以下に記す記録は、発災から28日後に妹、母、父がはじめて語ってくれた能登半島地震の「そのとき」のことです。
●妹
発災時は、姉(藤本透)からのLINE「地震大丈夫?」に返信した直後だった。ひどい揺れが襲ってきた。家中のものが落ちて飛び出して散乱した。 父が立ち上がろうとするのを押さえつけ、とにかく揺れが収まるのを待った。 揺れが収まった後は、このまま家にいてはいけないと思い、両親と共に勝手口から外へ出ようとした。 そのとき、外から「藤本さん家、潰れとる!」と近所の人の悲鳴が聞こえた。 父が「(そ)んなわけあるかい!」とスリッパのまま飛び出して行ったが、家の1階部分は完全に潰れて倒壊していた。 その被害を確かめる間もなく、次の地震が起こり、「早よ出て! 出んと潰される!」と近所の人たちに呼ばれて外へ出た。 母はコートを取りに家の奥に入ってしまい、「早く! 早く!」と急かした。あの時は必死だったが、すぐに母の行動は必要だったとわかった。 日没が迫る時間帯、外はとにかく寒く、みんな震えていた。それでも倒壊した家の中に戻れるはずもなく、広い駐車場に近所の人たちで集まり、ひたすら余震が去るのを待つしかなかった。 みんな着の身着のまま、大怪我を負いながらもどうにか倒壊した家から抜け出した人もいたが、電話も通じず、どうにか布団を渡して温めることが精一杯だった。 近所の人が車を出して大怪我の人を病院に運ぼうとしたが、道が崩落して輪島市内まで行くことができずに、引き返すことになってしまった。その後、病院に運ばれるまでは三日ほどの時間を要したとあとになってから聞いた。 助かったのは運がよかった。午前中だったら、もし誰かがトイレにいたら、玄関に出ていたら、倒壊した側なので、無事ではいられなかった。