「外から『家、潰れとる!』と近所の人の悲鳴が聞こえた」能登半島地震で被災した家族の体験
●母
発災時はリビングの傍にある台所にいた。とてつもない揺れで、立っていることもできず、その場に座り込んでしまった。 テーブルの下に入って! という教えがあったが、いざ今回のような規模の揺れが突然きたら、立っていることはもちろん、動くことすらできなかった。とにかく揺れがひどく、家中から大きな音が沢山響いていたのだけは覚えている。 ふと気がつくと、木箱が自分の横にあった。揺れが収まってから良く見ると、流しの上にあった大黒様が台座ごと降ってきていたことがわかった。あと少しずれていたら、命はなかったと思う。 どうにかコートだけでもと思い、余震の中コートを持ってスリッパのまま外に出た。家は潰れてなくなってしまっていた。本来の玄関に向かおうとは思わなかった。リビングから最も近い裏口の戸が開けられたのは 不幸中の幸いだったと思う。 2007年の地震の際に家屋を一部建て直した際、地盤を改良したことで、リビングは倒壊を免れることができたのではないかと思う。もしもあの時建て直していなかったら、助からなかった。 怪我をしている人、ショックか怪我かで顔面が紫色になってしまっている人がいたが、身体を温められるようなものもなく、みんな着の身着のままだった。 見渡す限りの家が倒壊していた。余震が続くなか、駐車場に集まり、皆呆然としていた。言葉もうまく出てこなかった。
●父
発災時はトイレからリビングに戻ってきたところだった。揺れの中、冷蔵庫が妻の方に倒れるのではないかと気が気ではなく、どうにかしなければと思ったが娘に押さえつけられて引き止められた。 揺れが収まった後は、娘に言われて外に出ようとした。近所の人にうちが潰れていると言われ、耳を疑ったが、そのとおりだった。家がなくなっているのがわかり、震えが止まらなかった。 (藤本注釈・実家は、2007年3月25日の能登半島地震の際に半壊し、その際に減築して建て直したリビング部分だけが辛うじて倒壊を免れました。17年前の地震で家の半分を、今回の地震で家の全てを失っただけでなく、大好きな地元の町並みも失われてしまいました)