【富山・井波、奇跡の町づくり】”住民による町づくり”の要「ジソウラボ」が目指すもの
「日本一の木彫りのまち」にいま若者たちが移住し、魅力的な店が次々と生まれ、人々が行き交い、活況を呈する。衰退していた町に今、何が起きているのか? 現地を訪れ、”住民による町づくり”の要を担う「ジソウラボ」の話を聞いた。 【写真】ジソウラボがかかわった富山の新名所
"つくるひとをつくる" をコンセプトにした「ジゾウラボ」の町づくり
この町の歴史と文化の中心でもある瑞泉寺の山門の前に立つ「ジソウラボ」のメンバー。「ジソウ」には、「自走」「自創」「地走」などの意味が込められている。左から総合建設エンジニアの藤井公嗣、石材店経営者の北村隆洋、「井波彫刻」を後世に残すことを目的にした会社「地域商社イナミベース」代表の中田絵美子、人材開発に携わる梶奈緒、ジソウラボの代表理事で林業を営む島田優平、木彫師の前川大地。ジソウラボには、交通手段や空き家問題の改善、後継ぎ問題などの地域課題を解決するためのさまざまなプロジェクトがある。 井波の新しいムーブメントを支える「ジソウラボ」とは何か。きっかけは、文化庁が認定する日本遺産。木彫りの文化を誇る井波を登録すべく、地元の若手世代が集まり、プロジェクトを立ち上げた。中心となったのは、現在「ジソウラボ」の代表理事で、林業を営む島田優平。議論を交わして町のアイデンティティや魅力について掘り下げ、遂に2018年、「井波彫刻」の技と歴史が評価され、井波は日本遺産に認定される。 話し合いを重ねる中で、さまざまな地域課題も浮き彫りになり、いつしか井波の未来について意見を述べ合う場になっていった。「2004年、井波を含む8 つの町村が合併して南砺市が誕生しました。市になったことで、井波のように人口の少ない地域の声は行政になかなか届かない。町の課題を自分たちで解決する方法が必要だと思いました」 島田はプロジェクトの仲間である建築家の山川智嗣、木彫師の前川大地を誘い、町の課題を解決することを目的とする、一般社団法人ジソウラボを、2020年6月に立ち上げた。 山川は富山市出身。カナダへ留学後、上海で建築事務所を設立し、2015年、井波の木彫文化に惹かれて移住。2016年に古民家をリノベーションした"職人に弟子入りできる宿"「Bed and Craft」を開業し、高い評価を得た。その際、見知らぬ土地で事業を始めることの難しさを実感したという。「地元の理解を得ることは大切で、時間がかかります。同時に、"魅力的な場所があって面白い人がいれば、人が集まってくる" ということも目の当たりにした。そんなキーとなる人づくりが重要だと感じました」 「ジソウラボ」は石材店経営者や総合建設エンジニア、ベンチャーキャピタルのPR、IT起業家などさまざまな分野で活躍するメンバーを加えて稼働する。「メンバーを集める際、専門分野が異なるように意識しました。役割もそれぞれ違う。たとえば、石材業を営む北村隆洋さんは地域の諸先輩からの信頼が厚い。新しいことを始めるとき、北村さんが彼らにわかりやすく伝えてくれるんです」と島田。 井波の100年後を面白くする源泉となる人材を集めるために「ジソウラボ」が創出したのが、"つくるひとをつくる" 起業家支援制度「(MA)Pプログラム」だ。「(MA)P」とは「MASTER PIECE(マスターピース)」の略。"自身の最高傑作を井波でつくりたい" と挑む起業家を内外から募り、サポートする。「ジソウラボ」は移住者と地域のつながりをつくり、自立を助け、成功のための戦略をともに練る仲間となる─。そんな画期的な取り組みだ。 メンバー内で「井波に何があったらいいだろう?」と考えたときに挙がったのが、焼き立てのパンが食べられるおいしいパン店やコミュニティの場となるブリュワリーだった。全国を対象に人材を募集し、面接を重ねた。その「(MA)Pプログラム」を利用した最初の移住者が、「ベイカーズハウスクボタ」の窪田夫妻だった。「店のイメージ、コンセプトなど、どんな店がつくりたいのかを、『ジソウラボ』と何度も打ち合わせしました。開業準備期間中に山川さんが経営する『Bed and Craft』のレストランで働かせてもらい、町の人と顔なじみになれたのもありがたかった。初めての土地で当初は不安でしたが、サポートがあったので心強かったですね」 山川は「ベイカーズハウスクボタ」の店舗に加え、同じく「(MA)Pプログラム」の事業である「ヘイズコーヒーロースタリー」と「ナットブリュー」の店舗も手がけているが、古い建築物の持ち味を活かして何も壊さず、最小限のデザインを組み入れることでモダンで魅力的な空間に仕上げつつ、町並みと調和させている。 「ジソウラボ」の活動を知り、伝統工芸「井波彫刻」を継承するために何かしたいと手を挙げる、東京在住の井波出身者も登場した。木彫師を父に持つ中田絵美子は「(MA)Pプログラム」を利用し、2023年4 月にIT技術とデジタルの活用を通して「井波彫刻」をプロデュースする会社を設立した。過去から現在に至るまでの「井波彫刻」を記録し、アーカイブにして発信していく事業もそこに含まれている。 「250年前の前川三四郎の技術が、その後長きにわたり"木彫りの里"となるこの地の礎を築いたように、さまざまな分野で"源泉となる人" が出てくれば、人から人へと技が継承され、やがて町の魅力となる。僕たちの活動は、源泉となる人たちに手を貸すこと。でも今や、移住してきた起業家たちがどんどん自身の力でつながりをつくり、新しい発見をこの町にもたらしています」と島田は話す。 自分たちで自分たちの理想の町をつくっていく──井波という町と「ジソウラボ」の取り組みが起こした"奇跡" は、過疎化が進む地方の町にとって希望を灯すロールモデルとなるだろう。 BY YU FUWA