「子どもができないと女性失格」という思いに囚われ――益子直美が振り返る不妊治療
とりつかれたように受けていた不妊治療を卒業
――益子さんが不妊治療を卒業された大きな理由は何ですか? 益子直美: 体力や年齢を考えると45歳が区切りかなと考えました。不妊治療をやめたのは、45歳の誕生日である2011年5月20日。その年の3月11日に東日本大震災が起こったのですが、震災翌日が大事な排卵日だったんです。あんなにひどい震災が起こっていて、津波がきてたくさんの被害者が出ているにもかかわらず、普通に病院に行って何事もなかったかのように治療をしていたんですよね。今冷静になって考えると異常だったなと思いますが、当時は気づかなかった。日記を読み返してみて、とりつかれたように治療を受けていたんだなって思いましたね。 ――どのようにして子どもが欲しいという気持ちに折り合いをつけられたのでしょうか? 益子直美: 最初はなかなかあきらめがつかなかったのですが、卒業直後に湘南に移住したことで、自然と気持ちが切り替わりました。主人と仲良く暮らして、二人でいろんなところに行ったりして、湘南ライフがすごく楽しかったんです。これはこれでありだなと感じるようになりました。 小学生を対象にしたバレーボール大会を始めたのも大きいですね。子どもたちと触れ合うことでかわいいし、楽しいし。なおさら子どもたちって宝だなと思いました。子どもがいない生活ですけど、子どもと触れ合う機会が多いので、それはそれですごくありがたいなと思っています。 ----- 益子直美 1966年生まれ。東京都出身。元バレーボール全日本代表選手、タレント、スポーツキャスター。中学入学と同時にバレーボールを始める。高校卒業後はイトーヨーカドーに入団。全日本メンバーとして世界選手権2回、W杯に出場を果たす。1992年に現役を引退。タレント、スポーツキャスターなど幅広く活動するほか、監督が絶対に怒らないことをルールにした「益子直美カップ小学生バレーボール大会」も主催する。 文:姫野桂 制作協力:BitStar