「子どもができないと女性失格」という思いに囚われ――益子直美が振り返る不妊治療
2022年4月から、不妊治療の保険適用が始まった。元バレーボール女子日本代表の益子直美さんも、不妊治療を経験した一人。40歳で結婚し、3年ほど不妊治療を試みたものの、結局子どもを授かることができなかったという。不妊治療中は「誰にも相談できなかった」と話す益子さんが抱えた悩みや葛藤、そして妊娠・出産や生理に対する社会への思いについて聞いた。(Yahoo!ニュース Voice)
「スポーツをしていたから40代でも妊娠できる」と思い込んでいた
――益子さんが不妊治療を始めたきっかけを教えてください。 益子直美: 私自身、もともと結婚できないと思っていたのですが、縁あって40歳で結婚しました。それまで、子どもに関してはそこまで真剣に考えていなくて。結婚する前、義理の兄がバイクの事故で亡くなって、まだ小学生だった姉の子どもたちの父親役にならないと、という気持ちがあったからかもしれません。結婚してから「主人との子どもが欲しい」と思うようになりました。 自分の年齢は見て見ぬふりをして、自然に妊娠できると思っていました。やっぱりスポーツをやっていたから体は若いんじゃないかと思い込んでいたんです。でも、実は逆なんですよね。人一倍心臓を動かして、肺を使って、筋力も使って内臓も酷使していますから、体の機能は衰えているんです。生理痛も若い頃から寝込むくらい酷かったのに、病院には行きませんでした。痛みに強いというより、アスリート特有の我慢強さみたいなもので耐えてきたんです。 ――実際に40歳を超えて出産される方もいるので、自分も子どもができると思いますよね。 益子直美: そうなんですよね。でも、2年経っても自然妊娠できなくて。結局、現実を突きつけられて病院に行きました。すると、血液検査の数値が悪すぎて、嫌でも年齢を自覚せざるを得ませんでしたね。タイミング法とか人工授精にもトライしたのですが、もう時間がないことに気づいたので、治療をジャンプアップして顕微授精にしました。でも、採卵をしたら卵子が3つしか取れなくて……。若い人は20個以上取れるらしいんです。この3つの卵子で顕微授精を試みたのですが、1つは使えず2つは受精せず。結局、私のお腹に戻ることはありませんでした。 ――不妊治療をしているときはお仕事とどう両立されていましたか? 益子直美: 不妊治療だけに集中したくて仕事はやめたんです。とにかく良い状態で不妊治療にチャレンジしたくてストレスを排除したかった。仕事をやめたらすごく体調が良くなって、悩まされていた偏頭痛もなくなったんです。そうして不妊治療に集中する環境を整えることができました。 ――不妊治療だけに専念すると、そればかりになって逆に落ち込むこともあったのではないでしょうか? 益子直美: 血液検査の結果を聞くたびに落ち込みましたね。そのままの精神状態では主人に会えないと思って、病院の横にある高級ステーキ屋さんに寄ってランチを食べて元気を出していました。1か月間頑張った自分へのご褒美と、次もまた頑張ろうという気持ちに切り替えたくて。あ、でも主人には内緒にしてました。おいしかったなぁ、あのステーキ(笑) それと結婚が遅かったので、不妊治療中に「急ぎなさい」とか「ご主人が若いから大丈夫よ」とか「あなたもスポーツをやってたんだから大丈夫」とか、本当にたくさん声をかけていただきましたが、そのたびに心はズキズキしてました。でも笑って「頑張ってまーす」みたいに明るく返していましたね。