柄谷行人回想録:文壇から遠く離れて 演劇や建築に広がった人間関係
唐十郎と飲んで踊って
――1980年前後には、唐十郎や寺山修司とも対談しています(唐十郎「肉体のエクリチュール」『柄谷行人発言集 対話篇』、寺山修司「ツリーと構想力」『柄谷行人対話篇Ⅰ』)。 柄谷 唐十郎とは、70年代半ばからつきあいがあった。きっかけはよく覚えていないけど、状況劇場の俳優だった川崎容子さんが、僕のよく行っていた文壇バーでアルバイトしていたから、彼女が仲介してくれんだと思います。僕が唐の演劇を見に行って知り合いになり、一緒に飲みにいくようにもなった。 《唐十郎は、1940年東京生まれの劇作家・演出家・俳優。劇団「状況劇場」を旗揚げ。70年「少女仮面」で岸田国士戯曲賞。83年に「佐川君からの手紙」で芥川賞。2024年5月4日死去》 ――飲み仲間だったわけですね。 柄谷 唐さんは、大体いつも状況劇場の仲間と一緒だった。根津甚八や麿赤兒なんかがいた。それで、皆で飲んで踊ったりしていた。 ――唐さん、飲むと踊るんですか。 柄谷 僕も(笑)。 ――柄谷さんが?(笑)。ちょっと意外ですね。 柄谷 いつもじゃないですよ。どんちゃん騒ぎになって、ふざけてみんなで踊ったことがあった。 ――唐十郎の舞台は柄谷さんにとっても面白かったですか。 柄谷 あれはセリフを聞いているだけでも面白いでしょう(笑)。 ――つい先日唐さんの訃報が伝えられましたが、最後にお会いになったのはいつですか。 柄谷 2010年くらいかな。新宿に芝居を見に行った。唐さんは出ていなくて、演出だけだったと思う。そのあと楽屋裏のようなところで、打ち上げがあった。彼は、不思議な人なんですよ。そのときも、僕のところにやってきて、いきなり土下座するんだ。「お越し頂いてありがとうございます。あなたは本当に神様のような人です」って、熱烈に感謝を述べてね。それでいったんどこか行ってしまったんだけど、しばらくすると今度は血相変えて飛んできて、「なんであんたは俺の作品をもっと評価してくれないんだ! どういうつもりだ!」とかいって怒鳴り散らした(笑)。 ――まるで舞台の延長のようですね。柄谷さんはどう反応したんですか? 柄谷 笑っていただけだと思う。そんなふうにハチャメチャなんだけれど、もう一方で、すごく知的な人なんだよね。 ――寺山修司とも対談では、演劇、小説、短歌と俳句など、様々な話題が飛び交っています。 柄谷 寺山さんは、僕に対して好意的でしたね。それから、舞踏家の土方巽も親切でした。