「えっコレって日本車なの?」「マジで美しい…」国産FF車を世界レベルに導いた先駆者[名車探訪vol.12]
プリンスは日産との合併以前から次世代を見据え、前輪駆動車の開発を始めている。その中心となったのが、国産車で初めての御料車となったプリンス・ロイヤルを造ったプロジェクトスタッフ達だった。かつてプリンスの本社があった東京・荻窪で、プリンス/日産合併後もFF車開発は継続され、1970年に日産初のFF車チェリーが発売される。そのスタイルは斬新で、とくに後に追加されたクーペは美しく、かつ挑戦的でもあった。 【画像】斬新なクーペスタイル。日産初のFF車「チェリー」写真ギャラリー
大メーカーに呑み込まれた航空機エンジニアの気概が、先進の小型車を生んだ
ひと口に自動車メーカーと言っても、その歴史や成り立ちにより社風や個性は違う。1966年に合併した日産とプリンスも、まったく異なる風合いの会社だった。 1914年に純国産乗用車のダット号を作った快進社を源とし、戦前から軍用トラックなどで自動車メーカーとしての地位を確立、戦後はオースチンとの提携で乗用車技術を獲得した日産は、質実剛健な実用車を得意とした。対して、立川飛行機と中島飛行機出身の航空機エンジニアが戦後に立ち上げたプリンスは、高度な技術にこだわり、洗練されたデザインやスポーティな走りが売りだったのだ。 日産初のFF車となるチェリーを1970年に生み出したのも、旧プリンスの開発陣だった。 合併後とはいえ、この時代には旧日産とプリンスの人事交流はまだ少なく、プリンス系の技術者は、日産系のモデルを半ば見下していたという。 合併の実態は、明らかに日産によるプリンスの吸収だった。しかし、中島飛行機が前身の荻窪事業所で設計され、多摩にある広い村山テストコースで開発された旧プリンス系のモデルは、オースチン譲りの頑健だが保守的なメカニズムを持ち、横浜の狭い追浜テストコースで開発された旧日産系のモデルより、先進的で優れていると彼らは自負していたのだ。
クーペモデルは、その斬新なフォルムから若者を中心に人気となった
チェリーには、そんな旧プリンス技術陣の気概が込められていた。 商品企画としては、1966年に生まれたサニーより下のセグメントをカバーする、日産では最もベーシックとなる大衆車。ところがサニーよりコンパクトなボディに、それより広い室内を実現することが目指されている。 実用車として使いやすく、経済的である一方、若いユーザーにアピールするためには、スポーティな走りも必須だ。 旧プリンスの技術陣は、合併以前から先進的な小型車のメカニズムとしてFF方式を研究していた。それを具現化したチェリーは、本来はFRのサニー用に開発されたエンジンを横置きにした、コンパクトなメカニズムで広い室内を実現。軽量なボディは高い経済性とともに、スポーティなハンドリングにも貢献した。 リヤサスペンションも、旧式なリーフリジッドのサニーに対して、チェリーはトレーリングアーム式の独立懸架。乗り心地の優位性は明らかだった。デザインも、のちに登場するプリンス系のヒット車、ケンメリスカイラインにも通じる流麗なもの。なかでもセダンに続いて登場したクーペは、ハッチバックの使いやすさと斬新なフォルムを併せ持ち、その狙い通り若者を中心に人気となったのだ。 <画像キャプション> クーペGL デビューから約1年後に追加された3ドアクーペ。サーフィンラインのスカイラインと同じように、ボディサイドには力強いマッハラインが一閃。後席シートバックは前方に倒せ、広い荷室を実現した。 <画像キャプション> X-1・LやGL・Lに標準装備されたナルディタイプのウッドステアリング。またシフトノブも木製となった。 <画像キャプション> 4ドアX-1のフロントシート。前後に160 ㎜ スライドし、17段階のリクライニング調整が可能。シートの中央部分は感触のいいトリコット地となっている。リヤシートもフロアにトンネルが無いため、 3人が比較的ゆったり座れた。 <画像キャプション> A10型。988㏄ のシングルキャブ。本来FRのサニーに積まれたこのエンジンをチェリーは横置きに積んでいる。