「えっコレって日本車なの?」「マジで美しい…」国産FF車を世界レベルに導いた先駆者[名車探訪vol.12]
初体験の挙動に連日立ち向かって、初の横置きFF車を生み出した
ところが、1959年に登場した英国のミニが、横置きエンジンの下にトランスミッションとデフを2階建てにする方式で、メカニズムの小型化と重量配分の適正化を実現。1964年にはイタリアのフィアットが、エンジンとトランスミッションを横に並べ、デフをその下に置く方式を編み出す。今日のFF車のスタンダードとなる構成が、この2車によって確立されたのだ。さらに1966年に日本のスバルが部品メーカーのNTNとの共同開発で、大きな角度でもスムーズに駆動力を伝えるジョイントを実現。以後、一気に世界のFF車の走りは洗練されるのだ。チェリーにも、ミニと同じ2階建てメカとスバル方式のジョイントが使われていた。 ただし、初めて挑戦する横置きエンジンというメカニズムには、さすがの元飛行機屋も苦労させられたという。開発陣は発進や加減速のたびに慣性で揺れ動くエンジンを支えつつ、騒音振動を遮断するマウントの開発や、その反力で暴れ回るステアリングのキックバック抑制など、多くの課題解決に追われた。操縦安定性の解析も未熟で、前後輪のジオメトリーの最適値も手さぐりだ。現在では重視される後輪の役割も解明されておらず、細く設計されたトレーリングアームのリヤサスは、剛性不足で限界領域の走りをナーバスにしていた。 チェリーの開発陣は、そうした初体験の挙動に連日立ち向かって、初の横置きFF車を仕上げた。ライバル各社もチェリーをベンチマークして続いた。今日では、国産横置きFF車は世界レベルの走りを実現している。その原点は、間違いなくチェリーだったのだ。 <画像キャプション> チェリーF-Ⅱ プリンス技術陣のこだわりと意地が込められたチェリーは、1974年に2代目へと移行した。ただし、その内容は初代ほど斬新なものではなかった。すっかり日産の経営機構に組み込まれた荻窪の開発陣は、F-Ⅱのサブネームが与えられた2代目チェリーを凡庸な上級指向のコンセプトで開発せざるを得なかったのだった。 ボディサイズはサニークラスまで拡大され、室内空間はより広くなった。日産の基準に則って初代クーペの死角だらけの視界は改善され、高速道路の合流で怖い思いをすることもなくなった。初代ではトリッキーで扱いにくかったハンドリングも洗練され、騒音振動もすっかり上級車並みになっていた。 <画像キャプション> 1.4ℓシリーズはスポーティな丸型メーター(1.2ℓは角形)。無反射ガラスを採用。スイッチはステアリングコラム周辺に集中して配置された。 <画像キャプション> F-Ⅱの主力A12型エンジン。低速からトルクフルで、高回転までよく回った。ちなみにA14型はシングルキャブ(80ps)とツインキャブ(92ps)があった。 <画像キャプション> 先代チェリーに比べてボディはひと回り大きくなり、サニーとほぼ同格のクルマとなったF-Ⅱ。FF方式ということで車内はむしろこちらの方が広かったはずだ。 <画像キャプション> クーペ1400GL(1975年式) ●全長×全幅×全高:3825㎜ ×1500㎜ ×1315㎜ ●ホイールベース:2395㎜ ●トレッド(前/後):1280㎜ /1245㎜ ●車両重量:760㎏ ●乗車定員:5名●エンジン(A14型):水冷直列4気筒OHV1397㏄ ●最高出力:80PS/6000rpm●最大トルク:11.5㎏ ・m/3600rpm●燃料タンク容量:40ℓ●最高速度:160㎞ /h●最小回転半径:4.8m●トランスミッション:前進4段、後進1段●サスペンション(前/後):ストラット式独立懸架/トレーリングアーム式独立懸架●タイヤ:6.15S13 4PR ◎新車当時価格(東京地区):76.1万円