「えっコレって日本車なの?」「マジで美しい…」国産FF車を世界レベルに導いた先駆者[名車探訪vol.12]
公道モデルとして登場したクーペX-1・Rは、さながら調教を嫌う「暴れ馬」だった
チェリーが登場した1970年代は、ツーリングカーレースの黄金時代。なかでも日産車の活躍は目立った。スカイラインGT-RとサバンナRX-3の激闘は伝説だし、下のクラスでも、さまざまなチューナーの手になるサニーが大活躍した。 チェリーもまた、1971年10月にセダンベースのマシンが日産ワークスチームから参戦。富士マスターズ250㎞ で、土砂降りの雨の中でデビューウインを飾っている。 まだFF車自体が少なく、走行特性やチューニング手法も手さぐりの時代だったが、当時はまだタイヤがプアなこともあり、FFの安定性は滑りやすい雨のレースでは大きな武器になったのだ。 空力特性に優れるクーペがレースに参戦すると、その活躍はさらに目ざましくなる。改造クラスでは、ワイルドなスポイラーやオーバーフェンダーを装着。1.3Lまでボアアップしてインジェクションを備えたA型エンジンは、OHVながら135PSの高性能を発揮した。とくに雨のレースでは、スカイラインGT-RやフェアレディZといった先輩をも抑えて、チェッカーフラッグをくぐることも珍しくなかった。 サーキットでのその雄姿はワイドラジアルタイヤ(といっても165/70R13!)やオーバーフェンダーを標準装備するクーペX-1・Rにも投影され、若者の羨望を集めた。もちろん、彼らが本当に欲しかったのはスカイラインGT-Rだったが、現実的な選択肢として、チェリークーペX-1・Rは、打ってつけだったのだ。 もっとも、公道でのチェリークーペX-1・Rの走りは、けっして洗練されているとは言えなかった。路面の変化に敏感な当時のサスペンションとラジアルタイヤは、ただでさえ重いステアリングに強いキックバックを伝えた。ツインキャブで1.2Lから80PSを絞り出したA12型エンジンは、OHVとは思えないほどよく回ったが、急加速ではまるで暴れ馬のようにステアリングを左右に取られるトルクステアも出た。 コーナリングもFFのクセが強く、しっかりと前輪荷重をかけないと強いアンダーステアが出る一方で、怖がってアクセルを離すと強烈なタックインが襲う。上級者ならそれを応用してアクセルワークひとつで姿勢を制御できたが、免許取り立ての若者には、荷が重い操縦性だったのだ。 <画像キャプション> チェリー1200X-1レースカー <画像キャプション> チェリーはFF車の利点を活かし、雨のレースで圧倒的な強さを発揮した。レース車両の開発は、村山の第2特殊車両実験課(エンジンは荻窪)が担当、発売翌月の1970年11月には早くも富士でテストを実施。デビューレースは1971年10月の富士GC・第5戦「マスターズ250㎞ 」。このときまだ2ドアX-1だったチェリーは、降りしきる雨の中で見事なワンツーフィニッシュを飾っている。