T-岡田と安達了一が引退対談…オリックスの悲喜こもごもを語り尽くす〈関西発 月イチ! SPORTS〉
――「本塁打が打てる遊撃手」として入団。むしろ打撃が得意だった。
安達「プロに入って打撃じゃ絶対に無理だと思った。マーくん(楽天・田中将大投手)から3三振して、あれはダメージが大きかった。こりゃあ打てないと。生きる道は守備しかないと、2年目には切り替えましたね」
岡田「僕は岡田(彰布)さん。自分を見いだしてくれて、我慢して使ってくれた。当時はノーステップ(の打撃フォーム)を勧められた時くらいしか、直接話したり指導を受けたりする機会はなかった。だから試合後は、新聞の監督コメント(で何と評価されているか)を気にして探していました」
〈オリックスは2000年オフにイチローさんが米大リーグに移籍して以降、低迷。15年からの6年間は3度の最下位を含め、全てBクラスに沈んだ。その後、21年からは3連覇を達成。岡田さんは同年、負ければロッテに優勝マジックが点灯する一戦で逆転3ランを放つなど、25年ぶり優勝に大きく貢献した〉
――21年からの3連覇はどうチームを見ていたのか。
岡田「自分は2回目、3回目(の優勝時)はあんまり力になれていない。でも呼んでもらったらチームの力になれるようにという思いでしたね」
安達「チームのために自分を犠牲にして、小さいことでもいいからやってやろうという気持ちでいました」
――試行錯誤したことが報われた期間でもあった。
岡田「2人とも言葉で引っ張っていくタイプじゃないので、とにかくプレーで引っ張るしかないというのはあったよね。だから誰よりも練習したと思うし」
安達「まさか優勝して日本一になれるなんて思ってもみなかった。日本一になった瞬間が一番かな。(22、23年はケガで出場機会が減った)T(―岡田)が出ていたらもっとよかった」
岡田「僕は1回目の優勝が何よりも嬉しかった。ちょっとは貢献できたかなっていうのもあるし、14年に(優勝争いを)最後までやって逃した悔しさがあったから。それこそ安達と色々我慢してきてよかったって思いましたね」