T-岡田と安達了一が引退対談…オリックスの悲喜こもごもを語り尽くす〈関西発 月イチ! SPORTS〉
安達「答えがなかった」
岡田「(当時監督の)福良(淳一)さんとは結構話をすることが多かったんで、直球で聞いたりしていました。このままじゃ来年もあかんなっていう雰囲気で『どうやったらよくなると思いますか』って」
――今思えば何が欠けていたか。
安達「新しい人が出てこなかったというのはあるかもしれない。(前監督の)中嶋(聡)さんは選手のことを知っているし、見ている。若い選手がやりやすくなった。ただ今季は、それが慣れに変わってしまった。緊張感を持ってプレーしないとあかんかった。そこで一番年上の自分たちが言えなかった。選手間で言い合うべきだったなと今は思う」
――出場機会が減った時期も引退はよぎらなかったのか。
岡田「熱量は変わらなかったですね」
安達「そうだね」
岡田「だから最後まで必死で練習をしていたし、『うまくなりたい』という気持ちをずっと持っていた。自分で限界を作ったらそこで終わり。だから若い選手はなんで練習しないんやろう、もったいないなと思う」
――安達さんは遊撃手じゃなくなった時が辞める時と以前話していた。
安達「考えが変わったというか、やっぱり野球をやりたかったから。できる限り長く野球をやりたい、という思いだった」
思い出の監督は…森脇さん(安達)岡田さん(岡田)
――2人ともオリックス一筋。移籍を考えたことは。
安達「色んなチームを見てみたかったですけどね。でも自分は(難病の潰瘍性大腸炎の)病気があって、球団にもファンにもお世話になったから。オリックスにいたいと思った」
――岡田さんは19年に移籍も考えていたと。
岡田「全然覚えてない。試合に出たかったので環境を変えたいという気持ちがあったのかな。でも、やっぱりこの球団で(優勝したい)っていうのがずっとあったので、移籍は違うなと」
――思い出深い監督は。
安達「みんな思い出深いですけどね。でも、自分は森脇(浩司)さんにすごくお世話になりました。森脇さんはとにかくずっとノック。あの練習をやったからここまで来られたと思います。一度練習がきつすぎてふてくされてしまって、『ユニホームを脱げ』と本気で怒られたけど、試合に出ていくうちに分かってきて、楽しくなっていった」