リアルな戦争は時代遅れのバカげた手段に 「脳の外在化」から「戦争」を考える
文字の競争
脳の外在化競争の第二段階は「文字」の競争である。 文字の分布と建築様式特に宗教様式の分布とは強い相関があることは前にも述べている。文字の競争は、その延長としての宗教、思想、建築、芸術、その他高度化した社会システムの競争と同調すると考えられる。それは体系的な法治国家の成立と軌を一にしており、そこに帝国へと拡大する動力が働いている。文字は、宗教、思想の拡大とともに、あるいは帝国の拡大とともに拡大するのだ。歴史をかえりみれば、この初期段階において、鉄剣という武器が登場することが多い。 文字はもともと言語機能を補完するものであったが、その持続性によって、話し言葉の力よりも普遍性をもつに至る。脳の持続的な外在化としての文字の力が、宗教や思想とそれにともなう建築や芸術を、場合によっては国家を超えて、多民族、多言語の領域にまで拡大させる。ギリシャ思想、キリスト教、仏教などが、その例であった。 活版印刷の登場による書物の普及は、帆船から蒸気船、馬から鉄道など、移動手段の発達とともに進んできた。総合的な知の加速度的拡大である。16世紀以後に本格化する西欧の優位は「脳の外在化の加速」によると思われる。少なくとも結果として急速な脳の外在化の時代を招いたとはいえる。 第二次世界大戦までの戦争は、こういった言語や文字という脳の外在化競争とともにあった。
電子情報の競争
第二次世界大戦のあと、世界の家庭にテレビジョンが入り、ビジネスシーンにはコンピューターが登場し、やがてそれがパーソナル化してインターネットで結ばれるという、電子情報システムの爆発的な発達が続いている。 「電脳」とも呼ばれるコンピューターや、人工知能は、まさに外在化した脳であり、脳の外在化競争も、そのことから来る戦争も、これまでとは異なる様相を呈している。第二次世界大戦後、国家正規軍どうしの衝突よりも、ゲリラ、テロ、サイバー攻撃などの新しい戦闘様態が増加し、大量殺戮兵器が「張子の虎」と呼ばれ、実際には使えないにもかかわらず、それによる脅しが政治的な意味をもつという事態となっている。 こうした時代において、リアルの戦争は、相互に大きな被害をもたらすだけのバカげた手段となりつつあるのではないか。