リアルな戦争は時代遅れのバカげた手段に 「脳の外在化」から「戦争」を考える
脳の外在化競争
とはいえ都市化の進展、あるいは脳の外在化の進展が著しいのは、特にこの数百年、さかのぼっても数千年のことで、太古の人間は、他の動物と同様に、食料の争奪をめぐって闘ったように思われるかもしれない。しかし動物の弱肉強食は、異種の天敵で構成された食物連鎖であって、同種間の争いは、メスをめぐるオスの争いや、ナワバリやボスの地位を争うものではあっても、相手の生命を奪うまでには至らないことが多い。「種の保存と繁栄」という生命本能の大命題に反するからである。 同種間の大量殺戮は人間特有のものだ。戦争は、人間の固有性すなわち大脳が爆発的に発達したことによると思われる。そしてその大脳の本質は、脳の外部に脳の機能を植えつけること、すなわち脳の外在化ではないか。人間は脳の外在化競争をする動物であり、リアルの戦争はその一様態に過ぎないのではないか。
言語の競争
脳の外在化競争の第一段階は「言語」の競争である。 高度な言語活動は、動物と異なる人間の著しい特質であり、人は自己の言語によって相手に意思を伝え、説得し、従わせようとする傾向がある。その言語による意思の外部化もまた「脳の外在化」であると考えれば、言語活動そのものが、日常的な「脳の外在化競争」となっているのだ。 集団においても同様のことがいえる。異なる言語集団がひとつの社会を構成する場合、優位な立場にある側の言語が拡大する。戦争に勝った方は、負けた方をその言語に従わせ、負けた方は勝った方の言語を学ぶことによって、その格差を縮めようとする。異なる言語が共存する社会は文化に多様性とダイナミズムがあり、単一言語の社会は文化に均質性と安定性がある。そしてある社会における「差別」というものは、言語能力の差から来ている場合が多い。 いくつかの社会が接する場合も、言語がつうじれば何らかの交渉が成立し経済的文化的な交流によって互いに有益な関係をもつことができるが、言語がつうじない場合は戦いになりやすい。言語こそ始原の戦争なのだ。しかし武器が未発達な段階においては、石つぶてや石斧、非金属の槍や弓といったもので闘う牧歌的な戦争にとどまっている。