リアルな戦争は時代遅れのバカげた手段に 「脳の外在化」から「戦争」を考える
「8月ジャーナリズム」という言葉があります。広島と長崎の原爆の日、終戦記念日があり、この時期にテレビや新聞などで戦争に関する報道が集中することを称した言葉です。限られた時期だけの報道に否定的な意見もありますが、戦争を語り継ぐうえで大きな役割を果たしているといえそうです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏も「8月は日本人が戦争を考える季節」と語ります。ただ、時代とともに戦争に対する考え方は変化してきている、と指摘します。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
戦争を考える季節
猛暑とともに、ヒロシマ、ナガサキ、そしてハイセンの夏がやってきた。8月は日本人が戦争を考える季節なのだ。とはいえ、その考え方は時代とともに変化している。近年はとみに変化している。 昨年「建築から戦争を考える」と題し、3回に分けて書いた。建築様式の分布を研究していると、特に宗教建築の様式は、たとえば中世のイスラム教とキリスト教の角逐のように、その宗教集団が戦争に勝つことによって拡大することが多いことに気づく。そのことから、人間は都市化を進める動物であり、都市化の様式すなわち「建築様式=文化様式」を拡大するために戦うのではないかと考えた。 また宗教様式の拡大は、たとえば7、8世紀日本における仏教様式のように、必ずしも戦争によらない場合もあり、リアルの戦争は、より大きな概念としての「文化の戦争」の一形態にすぎないのではないかと考えた。 続いて「AIは『脳の外在化』を進める人間の必然」という記事を書いた。これは前述の記事と関連していて、人間の都市化は、その居住空間に文字や絵画や彫刻を残し、知と情報を交換し、地方をコントロールする方向に、すなわち都市空間に脳の機能を集積する方向に進むのであり、そのことから都市化の本質は、人間が脳の機能を外在化(空間化)させることではないかと考えた。 現代のコンピューターや人工知能(AI)は、まさに外的な脳であるといっていい。人間は都市化とともに「脳の外在化」を進める動物なのだ。 そこで今回は、多少重複するところもあるが、「脳の外在化」と「戦争」との関係について、「都市化」という空間的場所的な側面からではなく、「脳」という内的な側面から戦争について考えたい。人間は「脳の外在化」をめぐって戦争をするのではないか。脳というものはなかなか厄介な代物なのだ。