それでも彼らは高く飛ぶ -10代ブラジル人の今-
静岡県浜松市は全国で在日ブラジル人の数が最も多い。大手自動車工場を中心に、製造現場がたくさんあるからだ。2014年12月の在留外国人統計によると、市内のブラジル人(ブラジル国籍の人)は9743人。家族ぐるみで来るケースも多く、親に連れられ10代で来日する子どもは少なくない。彼らがぶつかるのが言葉の壁であり、経済的な壁だ。そんな中、そそり立つ壁を飛び越えて活躍する新世代の在日ブラジル人が生まれ始めている。空高く飛ぼうとする彼ら、彼らを空高く飛ばそうと汗を流す人たちを訪ねた。
飛ぼうとする。家族が遠くなる
現在、都内の大手広告代理店に勤務するマリアさん(26)=仮名=は7歳の時に家族で日本へやってきた。両親はともに工場で働き、日本語はほとんど話せなかった。マリアさんは浜松市の公立小学校、中学校と進む中で日本語を習得していく。 未来への展望は持てなかった。 「両親にも中学の先生にも、日本で生きていくことに未来はないと言われ続けていました。だから私も中学を卒業したら工場で働くと思い込んでいました」 小学生のときから家族との間に違和感も感じ始めていた。日本語を習得し、日本文化になじんでいく中で、「家族から離れていく感覚を味わっていました。正直、家族ではなく、他人のようだと」。ブラジル人にも日本人にもなれない。自分は何者なのか。自問自答を繰り返した。転機が訪れたのは県立高校時代だった。「いくら真似をしても日本人になれないことが、ただ悔しかった」。悔しさをバネに、マリアさんは猛勉強を始める。 英語が一番面白かった。「外の世界を知ることできた。日本とブラジル以外にも国があるんだということを知りました」。高校の手厚いサポートもあり、マリアさんは東京の有名私大に合格する。入学金と学費は3年間バイトして貯めたお金で賄った。卒業後、カナダの大学院へ。日本語、ポルトガル語、英語を話す彼女が選んだ就職先が広告代理店だった。 大学に入ったあと、「血のつながりだけが家族ではない」と割り切るようになった。「私のルーツはブラジルだけど、故郷は静岡です」。容姿がブラジル人のため、「ふるさとは静岡と答えると驚かれる」と話す。 いまマリアさんが思っているのは、後輩に希望を与えたいということ。年に1回は母校に呼ばれ、話をする。「証明したいんです。自分次第で道が開けることを」。道を開くためには努力が欠かせない。「自分がそのロールモデル(模範生)になりたいと思っています」。 同じ「ロールモデル」という言葉を使ったのは、準学校法人ムンドデアレグリア校長の松本雅美さんだった。「まずロールモデルになる卒業生を増やしたい」と松本さんは言う。「“自分もそうなれるかも”と生徒に希望を持ってほしいから」