【イグ・ノーベル賞の日本人連続受賞は続くのか?】流行の分野に流れる研究開発費、目先の利益だけでは土台が崩れる
東京大学大学院理学系研究科教授の合田圭介氏は「日本の研究現場では、科学技術研究費などで多くが競争的資金化していて、光熱費や場所代、技術職員などを保障するのに手いっぱいな状況だ。分野によっては、たとえ新しい発想が生まれても、+αで自由な発想を試す資金の余裕はないのではないか」と警鐘を鳴らす。 「研究開発費の伸び悩みについて、内訳をみるとAIや再生医療など流行りの分野が重視され、基本原理を解明する『基礎研究』がどんどんおろそかになっている。目先の利益ばかりで、長い目で見た時に何も生まれなくなってしまう」(同)
日本の研究現場の実態「選択」と「集中」の誤算
「役に立つ」分野に対して、研究資金を集中させることも必要だが、行き過ぎは禁物だ。イグ・ノーベル賞受賞者からも懸念の声が上がる。西村氏は、「例えば、iPS細胞など『役に立つ』医療分野の研究が発展すると、生命倫理の問題が起こり、人文学的研究にも結びつく。今『役に立つ』とみなされる研究ばかりが優先されると、そうした分野の研究が必要な際に、対応する体力がなくなってしまうのではないか」と話す。 東京大学先端科学技術研究センター先端研フェローの小泉英明氏もこう警鐘を鳴らす。 「かつてはどんな研究室にも最低限の研究費が配分され、すぐに結果が出なくても、長期間の研究ができていた。しかし、それでは『他国には勝てない』と、研究費の選択と集中が行われ、その結果、一部にはすでにMRI高磁場化や今の量子コンピューターなどのような流行りの技術を、高額の実験装置で後追いすることに注力するようになり、新しい発見を生み出す力が失われていった。 日本では、1990年代以降、パッションのある人を見抜く研究者やマネジャーが減っている。このままでは、しかるべき立場の研究者の中に、自ら手を動かして研究をしてきた、目利き力がある人がいなくなってしまう可能性がある」 研究成果は、結果だけではなく、その過程も大切だ。前出の栗原氏は「動物への『スピーチ・ジャマー』の効果を調べようとしたところ、使用している超音波が動物を振り向かせることに〝偶然〟気付き、その後、動物の視線を集める『アニマルキャッチャー』を作ることにつながった。本来の実験はうまくいかなくとも、思いがけない成果もある。私たち研究者はそれらを見える化して世の中に伝えることが重要で、社会全体では、思いがけない成果を受容していくことも必要なのではないか」 中垣氏も同様の意見だ。「自分が『おもしろい』と思う研究を極めることも必要だが、その『おもしろさ』を誰かに伝えることも大切だ。社会にとって『役に立つ』ゴールが最適解とは限らないし、世間に何かを問いかけられるような別のゴールにたどり着いたりする。独りよがりにならず、絶えず社会と対話してすり合わせをしていき、別のゴールの必要性を考えていくことが重要になる」。 イグ・ノーベル賞について、中垣氏は「どの研究もおもしろい。ただ、それは一般の人がイメージする科学技術や人類の『発展や進歩』に直結するものではないからこそ素晴らしい」と語る。また、冒頭で述べた通り、あくまでパロディーの位置づけで権威がないことも特徴の一つであり、肩肘張らずに楽しんで研究を知ってもらうことができる。「イグ・ノーベル賞のような賞は他にはないユニークなものだ」と話す。