寝かしつけをやめて、おもちゃは買わない。ミニマリストが生み出した「やめる育児」の”驚きの効果”
ルーティン化した結果は
ふにゃふにゃと弱く泣いてもすぐに泣き止む事が多かったので基本的に抱っこはしない。長く泣く時は声の激しさで分かるので、ベッドの横まで様子を見に行く。でも、ちゃんと覚醒するまで抱っこはしない。泣いてもそのうち寝ることも多かったので、根気強くこれを繰り返した。そうすると、1歳までに朝まで寝るようになった。 その乳児期のルーティンの副産物で、子どもは大きくなっても華麗なる入眠スタイルは身についたままだった。絵本を読んだ後に部屋の電気を消して部屋を出るとそのまま寝た。毎日当たり前のようにこなす流れだったので、子どもたちも「寝るときはこんなもんだ」と疑問を持たなかったのが良かったのかもしれない。 「3歳までは一緒に寝ないと愛情が足りない子どもに育つ」当時はこんな3歳神話なるものがあったのだが、今現在大きく育った息子と娘に関しては、愛情の足りない子どもに育ったとは到底思えない。むしろ、別々に寝る決断をしてからは足りなかった睡眠時間を取り戻し、子どもに優しく接することができたように感じている。 子どもが大きくなってからわかったことなのだが、このルーティンは「ジーナ式」という睡眠コントロール方法に極めて似ている。軍隊のように事細かに1日のスケジュールを組んで、就寝までも「習慣化」してしまうというのがジーナ式なのだが、私のように夜だけゆるくルーティン化しただけでも効果は見られた。 完璧を求めすぎても疲弊するだけなので、継続ができるレベルのゆるいルーティンが良かったのだと思う。
朝起こすのをやめた
夜の寝かしつけはしなかったが、我が子を朝に起こす仕事は必要だった。小学生になると、目覚まし時計が部屋中に鳴り響いていても起きられないことが増えて、筆者は怒鳴りながら部屋に突撃するタイプの寝起きドッキリを毎日するようになった。 当たり前なのだが、そのシーンは朝なのだ。本来なら、丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒーを朝日が当たる窓辺ですすり、手帳を開いて一日のスケジュールを丁寧に確認しているはずなのに。 それが、「あんた何時だと思ってんの! ずっと目覚まし鳴ってんで! 起きなさい!」と、アラームを止めるというより、アラームを叩き、寝ている子どもをまたぎながらカーテンを開けて強制的に朝日を取り込み、尻に愛の往復ビンタをお見舞いしていた。それでも起きない日もあった。控えめに言って理想とのギャップがえぐかった。 毎朝異常に上昇する血圧に命の危険を感じていた当時、「社会人になって家を出ても、家族に起こしてもらっている」と、嬉しそうに語る知人の話を聞いた。私はそれを聞いてスッパリと家族を起こすのをやめた。親側として聞いて「そんなことやってられない」と思ったのだ。