二十歳のとき、何をしていたか?/高田純次 夢破れた若き青年が、“軌道修正”を繰り返しながらたどり着いた劇団という場所。
かくして、高田さんが第三の“軌道修正”により東京乾電池に入ったのは、30歳のとき。初参加した公演は、雑誌やテレビで取り上げられ大盛況を博す。 「貯金はすぐに底を尽きちゃったので、肉体労働のアルバイトをやりつつ、稽古をする日々でしたね。そうするうちにドラマの端役とかバラエティ番組に出られるようになり、何とか食っていけるようになった感じです。宝石屋をやっていたら、もっと稼げていたかもしれないけど(笑)。え、若い人にメッセージ? こんな俺が言うのも何だけど、若いうちからやりたいことを見つけるっていうのは重要。やっぱり早くからやっている奴には敵わないから。俺だって3歳からピアノやってたら、今頃ピアニストですよ(笑)。あと大事なのは、国家資格を持っておくことかな(笑)」
AT THE AGE OF 20
写真は、東京デザイナー学院2年生の夏、中古のバイクで日本縦断の旅に出たときの一枚。東京を出発してまず向かったのは北海道。「最初は順調だったんですよ。知り合いもできたりして。ただ、屈斜路湖の近くでバイクが故障してしまって、アイヌに助けてもらうことになりまして。そこからずっとバイクの調子が悪くて、大阪の枚方の友達に会った後、東京に引き返しました。今となっては、なんでこんな旅に出たのかわからないんだけど。たぶん病んでたんでしょうね(笑)」
プロフィール
高田純次|1947年、東京都生まれ。1971年に自由劇場の研究生となるが、1年後イッセー尾形らと劇団「うでくらべ」を結成。その後、4年間サラリーマン生活をし、1977年に劇団「東京乾電池」に参加。2011年に映画『ホームカミング』で初主演を飾った。 photo: Takeshi Abe, styling & grooming: Yumi Nabeta, text: Keisuke Kagiwada(2022年9月 905号初出)
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