二十歳のとき、何をしていたか?/高田純次 夢破れた若き青年が、“軌道修正”を繰り返しながらたどり着いた劇団という場所。
宝石鑑定士の資格を取り、 ジュエリーデザイナーに。
結果は見事に合格。そこで高田さんは、後に東京乾電池で合流することになる、柄本明さん、ベンガルさん、綾田俊樹さん、岩松了さんと出会い、研究生として切磋琢磨の日々を送る。 「ただ、研究生は1年するとほっぽりだされちゃうんですよ。その後は残って自由劇場の芝居に出るもよし、外へ出て自分で好きな芝居をするもよしって感じで。僕は演出家の森田雄三さんやイッセー尾形くんと『うでくらべ』という劇団をやることになったので残りませんでした。それでベケットの戯曲をやったんですけど、全然客が入らなくて。その頃には今の女房と籍も入れていたし、このままやっていても役者で食っていける気はしなかった。それでやっぱり稼がなきゃいけないなってことで、芝居から足を洗うことにしたんです」 これが高田さんにとっての第二の人生の“軌道修正”だ。まずは資格を取ろうとガイドブックを繰っていると、ある資格に高田さんのセンサーが反応した。 「宝石鑑定士というのを見つけたんですよ。何か面白そうだから取ってみようと学校に通い始めたんです。だけど、入って気づいたのは、宝石鑑定士って国家資格じゃないんですよ! 今で言えば、野菜ソムリエみたいなもの(笑)。もうがっかりしちゃって」 しかし、捨てる神あれば拾う神ありというべきか、あるとき学校に、ジュエリーデザイナーを探している宝石の卸会社が現れる。学校サイドはデザイナー学院を出ている高田さんを推薦し、高田さんは晴れてサラリーマン稼業に。 「結構な高待遇でね。仕事も楽しかったんですよ。俺のデザインしたジュエリーも概ね好評でしたから」 「ただ……」と高田さんは言葉を継ぐ。「受付のオネエチャンを口説こうと、新宿の『ぼるが』って居酒屋で飲んでいたら、たまたま会っちゃったんですよ。東京乾電池を組んだばかりの柄本やベンガルくんに。実は俺、乾電池の旗揚げ公演を見ているんだけど、それが大ゴケしてね。『サラリーマンになって正解だったな。よかったよかった』って大笑いしながら帰ってきたんですよ(笑)。でも、2回目の公演は大成功したらしいって聞いていて。そんなタイミングで会ったから、『俺、このままでいいのかな』って思っちゃったんだろうね。それで女房どころか1歳の子供もいたんだけど、会社を辞めることにしたんです。まぁ、貯金が200万くらいあったから当分はそれで暮らせばいいかなって。本当はそれでマンションでも買おうかって女房と話していたんですけど」