リーフやi-MiEV以前にも量産EVはあった! じつは長~い国産EVの歴代モデルを振り返る!!
日産ルネッサEV
電動化技術で先を行く日産は古くからEVに取り組んでおり、九州電力へバネットバン、サニーカリフォルニア、アベニールバンといったモデルを試験用車両として納入したり、セドリックEVを環境庁に貸与したりしてテストを繰り返していた。そんな日産が満を持してリース販売に踏み切ったのが、1998年5月にリリースされたルネッサEVだ。 マルチアメニティービークルとして登場したルネッサをベースに、ソニーとの共同開発で生まれたリチウムイオンバッテリーを床下に搭載。航続可能距離は10・15モードで230kmとなっていたほか、モーターの最高出力も62kWとガソリン車並とされていた。 このルネッサEVはいち早くリチウムイオンバッテリーを搭載しただけでなく、非接触充電システムやプリエアコン機能、ネオジム磁石同期モーターなど、現在に繋がる先進技術が多く搭載されていたのも特徴だった。
たま電気自動車
世界初の量産EVといわれるのが、1947年に戦前の立川飛行機から派生した東京電気自動車が発売した「たま」である。 当時の日本は第二次世界大戦に敗戦した直後で、GHQの軍需物資統制で深刻な石油不足に陥っていた。その一方で水力発電による電力の供給は安定しており、戦後で大きな工場の多くが操業不能に陥っていたこともあって余剰電力が発生していた。 国もEVの製造を奨励していたことで多くの新興メーカーがEVに参入したのだが、政府が主催した第1回性能試験でたまは航続距離96km、最高速度35km/hと群を抜く成績をマークし、タクシーとしても重宝されることとなったのだった。 ただ、その後は石油の供給も改善に向かったことで発展途上だったEVは次々と姿を消し、たまも1950年ごろには姿を消すこととなった。 なお、たまを開発した東京電気自動車は、1949年に「たま電気自動車」、1951年に「たま自動車」と社名を変更したのち、1952年に「プリンス自動車工業」に再変更。そして、1966年に日産自動車と合併しているため、たまはリーフの遠い先祖であるといえるかもしれない存在なのだ。
小鮒康一