なぜヨーロッパの郵便ポストは「ホルン」のマークなのか?
トゥルン・ウント・タクシス家と神聖ローマ帝国
それでは一体、この城主トゥルン・ウント・タクシス家とは、どんな一家なのか? トゥルン・ウント・タクシス家は、イタリアのトゥルン家とタクシス家という2つの家系が、1650年に1つとなったものである。 一家は元々身分が高かったわけではない。1608年に初めて貴族として認められ、1624年に帝国諸侯、1695年に侯爵に昇格した。民間へと郵便が拡大するとともに、その独占事業を通じ、富を蓄えていったのである。 トゥルン・ウント・タクシス家は北イタリアのロンバルディーに起源があるが、便宜上、皇帝の住むブリュッセルに引越し、その後18世紀前半にフランクフルトに宮殿を築いた。 当時は神聖ローマ帝国の時代。帝国議会は会場を転々としながら不定期に開催されていた。会議は長期間にわたることが多かったので、皇帝に代わり富豪が代理を務めたのだが、それには多くの経済的負担が発生した。 帝国議会が開かれている間は、他の経済活動が行えないだけでなく、参加者のためにコンサートや演劇などの娯楽を提供するなど、経済的な負担が大きかった。通常だと、帝国議会の皇帝代理を一度務めたら財力が尽きるものだが、1748年には皇帝の代理として神聖ローマ帝国の議会を仕切る立場まで職位を上げたトゥルン・ウント・タクシス家は、3代にわたって皇帝代理を務め上げた。この一家の経済力がいかに大きかったかは、容易に想像できるだろう。 とりわけ、1663年にレーゲンスブルクで開かれた帝国会議は特別だった。150年ほど続いたため永続的帝国議会とも呼ばれた。150年ほど続いたなか、後半皇帝代理を務めたのが、このトゥルン・ウント・タクシス家なのである。¥ 1866年プロイセンがオーストリアとの戦いに勝利し、郵便を国有化することになったのだが、それまでの約320年間華やいだトゥルン・ウント・タクシス郵便の独占事業は完全に幕を閉じることとなったのだ。