「自分の命はないもの」 三河湾の滑走台跡が伝える月下の特攻訓練
水上機に乗り込んだ若い特攻隊員たちが、夜空へ飛び立つ。爆弾を抱えた体当たりを想定し、彼らは厳しい訓練を繰り返した。月明かりの下で。 愛知県美浜町の三河湾に面した海岸に、戦時中に造られた滑走台が残っている。かつて、第2河和海軍航空隊の基地があり、水上機を海面に下ろしたり引き揚げたりするために使われた。一部は破損がひどく、波打ち際が崩落している。 同隊は、水上機搭乗員の訓練のために1944年に編成された。戦局が悪化すると、特攻隊もつくられた。翌年3月に硫黄島の守備隊が玉砕すると、米軍機が太平洋を越えて本土に飛来するようになった。特攻の訓練は昼間を避け、より危険な夜間を中心に行われるようになった。訓練中の事故で亡くなる隊員もいたという。 同町教育委員会の調査報告書には、元特攻隊員の証言が残る。 「兵隊にとられてからは、自分の命はないものだという気持ちでおりました」 終戦から、来夏で80年を迎える。(小玉重隆)
朝日新聞社