【悼む】長野ハルさん厳しかった…帝拳ジム取材も視線合わせてもらえず何度逃げ帰ろうと思ったか
<悼む> ボクシング界の名門帝拳ジムの長野ハル・マネジャーが1日午後8時40分、老衰のため死去した。5日、本田明彦会長がホームページで発表した。99歳だった。1948年(昭23)に帝拳株式会社に入社し、日本ボクシングコミッション(JBC)が創設された52年にマネジャーライセンスを取得。75年以上にわたりジムの屋台骨を支え、大場政夫、浜田剛史、村田諒太らの世界王者をはじめ、ボクサーから母親のように慕われた。 ◇ ◇ ◇ 長野ハルさんに「選手の話を聞きますか」と声を掛けられた。帝拳ジムに通い続けて2カ月くらいたっていただろうか。初めて話しかけられたときの喜びは忘れられない。 ボクシング担当になったばかりのころ、世界戦について電話で問い合わせたら、そっけなく切られた。神楽坂にあるジムに行っても、当初は視線すら合わせてもらえない。きつかった。それでも仕事上、行かなければならない。ビルの5階にあるジムに上がるエレベーターの中で、何度逃げ帰ろうと思ったか分からない。 通っているうちに顔を覚えられると、ジムの椅子に座るように勧められるようになった。元世界王者の故大場政夫さんらの話も聞かせてくれた。安易に情報は取れない。現場で顔を合わせ、信頼を得た上で、情報は取るものだと、身をもって教えてくれたと感謝している。 長野さんがジムにいると、その空気はピリッと引き締まる。取材者だけでなく、選手にも、トレーナーにも厳しかった。その厳格さは選手を守るためだったのだろう。油断すれば大きなダメージを受けかねない競技。まさに唯一無二の重し役だった。99歳の昨年まで大好きなボクシングの現場に立ち続けた。人としての生き方も学べた。ありがとうございました。【07、08、12年ボクシング担当=田口潤】