【プレイバック’94】『10.8決戦』を制して優勝! 長嶋監督が本誌に託した〝ファンへの詫び状〟
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の1994年10月28日号掲載の『V達成直後 本誌に託した長嶋茂雄監督からの「巨人ファンへの詫び状」』を紹介する。 【バットで鏡割り】すごい…リーグ優勝で歓喜に湧く長嶋監督とG戦士たち 1994年10月8日、ナゴヤ球場で行われた巨人vs中日の最終戦は、どちらか勝ったほうがリーグ優勝という、巨人・長嶋茂雄監督(58・当時)曰く「国民的行事」となった。『10.8決戦』の名称でプロ野球史に残る試合に勝利したのは巨人。リーグ優勝を決めた長嶋監督が本誌に寄せた〝詫び状〟を紹介した記事だ。(以下《 》内の記述は過去記事より引用)。 ◆「大変申し訳なかったと思います」 《あまりにドラマチックすぎる幕切れだった。10月8日、同率で並んでいた中日を破って優勝を決めた巨人。1週間経っても、いまだ興奮さめやらぬファンも多いだろう。17年ぶりに歓喜の胴上げを味わった長嶋茂雄監督が、そんなファンへの〝お詫び〟のメッセージを本誌に寄せてくれた。 「優勝を待ちわびていたファンの皆さんには、シーズン後半になってハラハラさせてしまい、大変申し訳なかったと思います。監督としての自分はどうなろうとかまわない、ただファンのためにと、選手とともに戦い、優勝を勝ち取ることができて、何とか顔がたったかなという気持ちです。最終戦までもつれたため、逆に、ファンの皆さんも喜びはひとしおだったのではないかと思っています」》 長嶋監督も言うように、このシーズンの巨人は相当にファンをやきもきさせた。FAで中日の主砲だった落合博満(当時40)を獲得するなど大型補強で臨み、4月の開幕でスタートダッシュに成功。7月上旬には2位に9.5ゲーム差をつける独走状態だった。だが後半戦では打線が停滞し、終盤で猛追してきた中日に同率首位で並ばれてしまったのだ。ともあれ、何とかリーグ優勝はできた。次の目標は「日本一」だ。 ◆「最後は勝つ」ということだけを信じて戦う 《「晴れて日本シリーズに出場して、相手は西武です。監督就任の時から西武を倒すことが私の夢であり、大目標でした。もちろん、西武のチーム力は12球団一充実しきっており、経験も豊富で、ここ一番という時に他を突き放す力は歴然としています。巨人としては最強の相手であり、手ごわい敵です。しかし、勝負は運ですから、結果はぶつかってみないとわからない。悲願の日本一を目指して全力で戦うだけです。シーズン終盤、一敗もできない戦いの中でしのぎを削り、試練を乗り越えたことは、選手にも大きな自信と力になったと思います。日本シリーズも、ペナントレース同様、『最後は勝つ』ということだけを信じて戦いたい」》 巨人がもたついた後半戦では、長嶋監督の采配が批判を浴びたが、彼は一切言い訳をしなかった。そして、最後の中日、ヤクルトとの6試合を槙原、桑田、斎藤の三本柱を総動員するという思い切った采配でチームを優勝に導いた。批判に対して結果で応えたのだ。西武に対してはどのような策で臨むのだろうか。 《「西武・森監督の野球はセオリー重視でソツがない。それに対して、自分たちも単純にセオリーどおりの野球をやっていたのでは、かなり苦戦することになるでしょう。挑戦者らしく、思い切った作戦でかき回してみたいと思っています。いまはリーグ優勝を果たして、全国のファンの期待に応えることができてホッとしているところです。しかし、もう一つ、日本シリーズで頑張って、野球人気もさらに一層、盛り上げたいと考えています」》 果たして日本シリーズでの勝敗のゆくえは──。 ◆日本一の舞台で初の胴上げ 1994年10月22日に東京ドームにおいて火ぶたが切られた日本シリーズでは4勝2敗で西武を降し、巨人は5年ぶり18回目の日本一の座についた。長嶋監督も日本一の舞台で初めて宙に舞うこととなった。長嶋監督は’00年シーズンに再びチームを日本一に導いた翌年に監督業から勇退している。 今シーズンは30年前を彷彿とさせるようなデッドヒートを阪神と繰り広げてリーグ優勝を決めた巨人。10月16日からのクライマックスシリーズを制して’19年以来となる日本シリーズへコマを進めることはできるだろうか。
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