岡崎慎司、引退決断の大きな理由明かす サッカーを「やめられた」ポジティブな決断とは?
20年間の現役生活に別れを告げたシントトロイデンの元日本代表FW岡崎慎司(38)が17日、都内で引退会見を行い「代表監督でW杯優勝」の目標を掲げた。 【写真】ダイビングヘッドでゴールを決める岡崎慎司 各国最上位リーグや代表の監督業に必要なUEFA(欧州サッカー連盟)プロライセンス取得へ、まずは英国でB資格の受講を始めた一方、自身が創設したドイツ6部バサラマインツの監督から指導者の道を歩む。最高峰まで長い道程になるが、反骨心をバネにA代表119試合で歴代3位50得点と輝かしい成績を残してきた男が、大目標に挑む。 すがすがしかった。岡崎が冒頭、引退決断の大きな理由を明かした。昨年12月に負傷した、右膝。プレーできないほどの状態で、人生で初めて「サッカーをやめたい」と思った。同時に「このまま終わりたくない」。欧州で「第2章」を始めることを決めたという。 「挑戦の続きは、自分でつくれると思ったからこそやめられた。自分にとってはポジティブな決断。サッカー選手として戦ってきたように(第2の人生も)戦いの場がほしいと思った」 今後は欧州で監督業に挑戦。まず率いるクラブは、自身が滝川二高時代の先輩と14年に立ち上げたドイツ6部バサラマインツで、並行して7月1日からシントトロイデンのアドバイザーに就任。経営にも携わる。 指導者ライセンス取得にも動いており、既にイングランドでUEFA・Bライセンスの講習を10日間、受けた。日本のS級に相当するUEFA・プロ取得まで言葉の壁も含め、長い道になることは覚悟している。 「サッカー選手として感覚でやってきた人間が、いきなり指導者になれるかというと…なれないと(受講した)10日間でも思った」 一方で、現役時代も「反骨心」をバネに、のし上がってきただけに「5年、10年かかっても、次は指導者として悔しさを経験して、吸収して、成長していきたい」と覚悟も触発された。 現役時代は「奇跡」のプレミアリーグ優勝、日本代表として3度のW杯出場と輝かしい実績を残したが、本人は「W杯優勝、北京五輪(でメダル獲得)に4大リーグ(全て)でプレーしたいという夢も達成できなかった」と悔しさばかりが残ると話す。だからこそ、指導者として泥くさく夢を追う。「選手では達成できなかったので、日本代表の監督になってW杯で優勝したい。メインの目標」。W杯を経験した日本人選手が代表監督に就き、世界の頂点に立つ日まで-。色紙にしたためた「挑戦」は終わらない。【岩田千代巳】 ◆岡崎慎司(おかざき・しんじ)1986年(昭61)4月16日、兵庫・宝塚市生まれ。滝川二高から05年に清水加入。J1通算121試合42得点の成績を残して11年にドイツ1部シュツットガルト移籍。13年にマインツ。15年にプレミアリーグのレスターへ。15-16年シーズンで5得点し、クラブ創設132年目で初のリーグ優勝に貢献。W杯は16強入りした10年南アフリカ大会、18年ロシア大会と14年ブラジル大会に出場した。家族は夫人と2男。174センチ、76キロ。血液型O。