明石・大蔵海岸砂浜陥没事故23年 「子ども失った親の気持ち、身に染みて…」丸谷聡子市長ら献花
2001年12月に兵庫県明石市の大蔵海岸で起きた砂浜陥没事故の発生から23年を迎えた30日、丸谷聡子・明石市長と市幹部らが事故現場を訪れ、献花した。 【画像】明石・砂浜陥没事故から23年 事故は東京から帰省していた金月美帆ちゃん(当時4歳)が父親の一彦さんと大蔵海岸を散歩している時に起きた。海岸の人工砂浜が約2メートル陥没し、美帆ちゃんは砂に埋まって生き埋めとなり、搬送された病院で意識が戻ることなく、翌2002年5月に亡くなった。 事故から23年経ち、教訓の継承が課題となっている。さらに全国的に都市部の生活インフラの老朽化が進み、対策が急がれる。 丸谷市長は「(自身も)娘を持つ親とし て、悲しみに終わりはないと思っている。市民の命と安全を守ることが、行政として一番大切なこと。日常生活で危険な箇所があればすぐに情報提供をいただけるシステムも構築し、市民の皆さんの気付きをダイレクトに受け止め、市民とともに安心・安全な街を作っていく」と話した。 明石市は事故発生翌年から市職員の安全対策に関する研修を続けているが、世代交代も進み、いかに風化を止めるかが問われている。 ■明石・大蔵海岸 砂浜陥没事故 2001年12月30日、明石市の大蔵海岸で会社員・金月一彦さんと、長女の美帆ちゃん(当時4歳)が散歩中、人工砂浜が約2メートル陥没。美帆ちゃんが生き埋めとなり、翌2002年5月26日に死亡した。 土砂がすき間から海に流出するのを防ぐゴム製の板に穴が開き、砂浜の下に空洞ができたのが原因とされる。 兵庫県警は2004年、国土交通省近畿地方整備局姫路工事事務所(現・姫路河川国道事務所)の担当者と明石市の当時の海岸・治水管理担当者ら4人を業務上過失致死容疑で書類送検し、神戸地検が在宅起訴した。 一審・神戸地裁は2006年、事故の予見可能性を認めずに全員に無罪判決を言い渡した。しかしニ審・大阪高裁は2008年、一転して4人の予見可能性を認め、1審判決を破棄し、審理を差し戻した。 2010年10月に始まった差し戻し審で、神戸地裁は「砂浜陥没を予測できたのに注意を怠り、結果を回避する措置も取らなかった」などと指摘、4人は逆転有罪判決を受け、2014年に禁錮1年、執行猶予3年の判決が確定した。
ラジオ関西