「迷わず蹴って来い、と言いたい」――W杯パラグアイ戦のPKから12年、駒野友一の答え
W杯になれば、またあのときの映像が流れるでしょうけど
パラグアイ戦のPKキッカーを振り返ると、1番手の遠藤保仁、2番手の長谷部誠に続き、3番手が駒野で、4番手を本田圭佑が務めた。サイドバックという地味なポジションの駒野が、この順番で登場したことを「なぜ?」と思う人がいても不思議ではない。ただ、駒野はPKを蹴るべくして岡田武史監督に指名されたのだ。 「キッカーだと言われたのは、PK戦が始まる前の円陣のとき。(決める)自信はありました」 失敗を消化するまでに時間はかかった。ただ、いつからかチームメートや後輩からイジりのネタにされても笑い流せるようになった。 「あのあとPK戦をやったのはシュビロ時代の11年にナビスコカップ王者として臨んだスルガ銀行チャンピオンシップのインデペンディエンテ戦(アルゼンチン)の1度だけ。そのときは自分も決めて、チームも勝ちました。ただ、僕がキッカーとしてPKスポットに向かうときにチームメートだけじゃなく会場全体がザワついたのはよく覚えています(笑)。練習でもカップ戦前にはPKの練習をすることはありましたし、イジってくる選手はいましたけど、そうされることで楽になった部分もあります。W杯になれば、またあのときの映像が流れるでしょうけど、いまはもう大丈夫です」 あれから12年、駒野は41歳まで現役を続け、先ごろ今季限りでの引退を発表した。磐田を離れたあとは、FC東京、アビスパ福岡を経て、19年からはFC今治(J3)でプレーしてきたが、最後の所属となったクラブの会長が、南アフリカW杯時の指揮官・岡田武史だというのは不思議な縁があるのかもしれない。
迷わず蹴って来い、と言いたい
W杯でのPK戦失敗を、いまはどう捉えているか。 「何でしょうね。確かに失敗はしましたけど、それでサッカーが終わるわけではないし、よりサッカーのことを考えさせられるようになったというか。難しいですけど、もっと努力しなければと気づかされたと考えれば、悪いことばかりでもなかった。確実にメンタルは鍛えられました(笑)」 将来的には指導者に興味があるというが、まもなく始まるカタールW杯に臨む日本代表についてはどう見ているのだろうか。日本代表はグループリーグでドイツ、コスタリカ、スペインと対戦するが、ドイツとスペインはともに優勝経験のある強豪だ。