「迷わず蹴って来い、と言いたい」――W杯パラグアイ戦のPKから12年、駒野友一の答え
一瞬、サッカーはもういいかなと思ったときもありました
南アフリカ大会のパラグアイ戦は、日本代表がW杯ベスト8に最も近づいた瞬間だった。 駒野にとっての試練はそこからだった。試合後のメディア対応も、この日は「すみません」と一言だけ残して通り過ぎるのがやっと。ホテルに戻っても食事は喉を通らず、チームメートから「気持ち切り替えて…」と声をかけられても、そう簡単にはいかなかった。 「人と話す気になれずに部屋に閉じこもって、いろいろ考えました。自分が言える立場ではないですが、勝てばベスト8、優勝したスペインと戦えたわけですから……。帰りの飛行機ではパラグアイ戦のハイライト映像が流れていましたが、見ることはできなかった。空港に着いたときには、何か起きるかもしれないと恐怖すら感じていました」 関西空港には、当時所属していたジュビロ磐田の広報担当者が心配して迎えに来てくれた。その車中で、クラブ宛てに送られてきたFAXを読み、少しだけ気持ちが落ち着いたと明かす。 「300から400通くらいはあったと思います。自分としては、厳しい言葉が多いだろうと覚悟はしていました。ただ、一通ごと読んでみると8、9割は『感動しました』とか『胸を張って帰ってきてください』というポジティブなもので。少しは心が楽になったというか、なんとか帰宅することができました」 ただ、W杯の直後は所属チームに脅迫状が届くなど、一時は警察に自宅付近を巡回してもらったこともあった。“戦犯”と大きなバッシングを受けた駒野にとって当時のことは辛い記憶として心に刻まれている。
救ってくれたのは、無邪気な子どもの笑顔だった。 「外に出るとやっぱり周りの人の視線が気になって……。ちょうどW杯のあとは2週間くらい休みがあったので妻が旅行を計画してくれて、当時3、4歳だった娘を連れて沖縄に行きました。子どもは状況がわかっていないので、かまってほしいと寄ってくるじゃないですか。そんな娘の笑顔を見ているうちに、自分も段々と笑えるようになったというか。そうやって時間を過ごすうちにまたサッカーがしたいなって気持ちになっていきました。 一瞬、サッカーはもういいかなと思ったときもありました。ただ、結局はサッカーが好きで、体が求めていたからまたやりたいと思うようになったんでしょうね」 2010年7月17日、ジュビロ磐田にとってW杯中断明け初戦となった清水エスパルスとの静岡ダービーでは、こんなことがあった。 試合前のウォーミングアップ中、「きっとメンバー発表で、オレの名前が呼ばれたら大ブーイングだろうな」と覚悟を決めていた。しかし、エスパルスサポーターはまさかの拍手で駒野を迎えたのだ。 「あの拍手はうれしかったですし、泣きそうになりました。叩かれるのは当然ですが、その一方で励ましてくれる人もいる。そういう人たちに、僕はサッカーでしか恩返しできないですから、もう1回頑張ろうって気持ちになれました」