江原啓之「親友が亡くなった。嘆き続ける、新しい友を求める、どちらが幸せ?不幸の三原則は〈自己憐憫〉〈責任転嫁〉〈依存心〉」
スピリチュアリストとして、さまざまな角度から読者のお悩みに答え、生きる指針を示してくれる江原啓之さん。現在は熱海に在住し、ていねいな暮らしをしながら日々「生きる上で大切なこと」を発信し続けています。『婦人公論』のリニューアルにあたって始まった新連載「〈幸せぐせ〉を身に着けよう」。第28回は「なんでも話し合えた友人が急逝し喪失感でいっぱい」です。 * * * * * * * Q なんでも話し合えた友人が急逝し喪失感でいっぱい A)新しい友人を求め交友関係を広げる B)時間が薬。立ち直れるまで喪失感と向き合う ◆この世での旅が終わっただけ 長寿社会となった現代、長生きするとそれだけ多くの仲間を見送ることにも繋がります。みなさんの中にも、親しい人を亡くしさみしい思いをしている方がいるのではないでしょうか。その気持ちはよく理解できます。 けれど、スピリチュアルな視点から言えば、人は死して死なず。天寿をまっとうして肉体の死を迎えても、それはこの世での旅が終わっただけのこと。お迎えが来た友人のたましいは一足先にあの世へ向かい、新しい旅を始めています。人は遅かれ早かれ、あの世へ旅立つもの。ですから、いずれあの世で友人に会うこともできるのです。そんなたましいの視点を持ちながら、今回のお題を考えてみましょう。 ずばり、幸せぐせはAです。
◆たましいの視点をもって 新しい友人を求めるなんて、あっさりしていて冷たいと思いますか? いいえ、大事なのは、あの世へ旅立つ人をこの世に引き留めないことです。「あなたがいなくなってさみしくてたまらない」と気落ちして鬱々と過ごしていたら、亡くなった方は後ろ髪を引かれておちおちあの世へ行ってはいられません。Aのように前向きに生きる姿勢を見せてこそ、友人は安心してあの世に向かえるのです。 もちろん友人の冥福を祈り、心を寄せることは大切です。けれどたましいの視点を持っていれば、悲しむだけではなく、「今まで私と仲良くしてくれてありがとう」と感謝の気持ちが溢れてくるはずです。そして、「あなたがいなくなってさみしいけれど、私はもう少しこの世で頑張るね」と言えるのではないでしょうか。 一方、Bのように「親しい友人を亡くし、自分の中に広がる喪失感と向き合わざるをえない」と思うのが、なぜ不幸ぐせなのかも解説しておきましょう。親しい人を見送りさみしさが募るのは理解できますが、「喪失感」となると、それはかなり自分本位の感情と言えるからです。