【陸上】再び歩き出した王者――競歩・山西利和の中にいたもう一人の自分「矛盾を許すのか、許さないのか」
日本選手権に向けた取り組み
少し時間が経った。日本選手権をどう振り返るのか。そもそも、そこまでの取り組みにどんな狂いがあったのだろうか。ブダペスト世界選手権を終えてから、山西は厚底シューズの着用にチャレンジした。今は世界の主流になりつつある。 「ブダペスト世界選手権を終わって、9月くらいから始めました。期間もあったので、(日本選手権まで)半年かければ対応できるのではと思って始めました。ただ、うまくアジャストできなかったんです。11月くらいが一番心理的にはしんどかったです」 そのまま行くべきか。それとも元に戻すべきか。年が明けて最後は自分で「戻そう」と決めた。しかし、実際にシューズを戻すと「動きがガタッと崩れて、なかなか戻らなかった。そこで、練習の強度やバランスなど、もう少し丁寧にできなかったかな、とは思います。」。1月の日本陸連合宿では、池田をはじめ、全体的に状態の良さを感じていた。それを気にし過ぎることはなく、「そんな余裕がなかった。むしろもっと(周囲を)見られるくらいのほうが余裕はあるかもしれません」と振り返る。 「割と2月に入ってからは、最低限なんとかできそう、というところまで持ってこられました。ただ、試合の前々日くらいからまたちょっと動きが……。どうも動きが軽くなって、押さえがきかなくなっていた。動画を見返すとそういうふうに感じます」 パリ五輪代表は3枠。選考要項に沿えば派遣設定記録を切って3位以内に入れば決められる状況だった。上位陣で記録を持っていなかったのは山西のみ。ただ、派遣設定記録の1時間(1時間19分30秒)は当日の条件(晴れ)を見ても、山西の本来の力であれば難しい記録ではない。3位以内に入れば、自然と届く記録。それでも、山西は攻めた。 「代表3枠にどう入るかという思考よりも、優勝と1時間16分台に行きたいと思っていました。冷静に見れば、3位以内を狙えばいい、という意見ももちろんわかります。美学、なんてほどのものではありませんが、個人の勝手なこだわりというか、そうありたいというか……。やっぱり日本選手権という勝負であり、レース。それだけです」 山西は1kmを3分52秒、2kmまでも3分51秒、さらに3kmまでの1kmは3分49秒というハイラップで入った。これは、鈴木雄介(富士通)の世界記録1時間16分36秒を上回るペースだった。5km通過は19分14秒。山西とともに池田、髙橋和生(ADワークスグループ)、川野将虎(旭化成)、古賀友太(大塚製薬)、濱西諒(サンベルクス)の6名の上位争いに絞られた。結果的に、そのまま上位に残った選手たちだ。 「見積もりの甘さが出ました。まだ警告が出るほどではないかな、と思っていたのですが序盤から注意が少し多かったんです。6人の集団だったので、その中で目についているのかな、と。池田選手に離されて、11kmくらいで警告が2枚つきました。あれだけポンポンと(警告が)出てしまうとなかなか……。どうしよう、と思っているうちに3枚目が出てしまったと思います。もう万事休す。余裕度もないし。まだ中盤なのに、手駒がなくなってきた、そんな感じ。もう少し前半の良いペースで行けた時に集団が削れていてくれれば自分の動きの量も抑えられたかな、とか。細かな願望はありますが、希望通りにいくわけがないので。やっぱり技術的な土台が確立されていなかったら仕方ありません。あんまり覚えていないんですけど……」