マイルス・デイビスの黄金期はいつ? 独自表現獲得の軌跡がわかる味わい方
1940ジャズ・ミュージシャンでは、従来の型にとらわれない個性的なファッションで異彩を放ったマイルス・デイビス。諸説ありますが、マイルスのトランぺッターとしての才能が開花した時期はいつだったのかでしょうか? 記事中に出てくる順にぜひとも聴いて欲しいマイルスのアルバムをジャズ評論家の青木和富さんが紹介しながら、解説していきます。
マイルスは冷たい人間だったのか?
マイルス・デイビスの初期のリーダー作に『ディグ』というアルバムがある。これはボブ・ワインストックという青年が立ち上げたプレスティッジというレーベルに残した2回目の録音で、最初は25cmLPで出され、後にこの名前で30cmLPで発売された。だから、このアルバムのジャケット写真は録音当時のものかどうか分からない。 この録音には、ジャッキー・マクリーン、ソニー・ロリンズという新世代のサックス奏者が参加し、その若いエネルギーも話題で、マイルスの初期の代表作になっている。余談だが、後にマイルスの自伝が出版され、その中でこの録音に言及し、マクリーンについてあまりいいことを言っていない。マクリーンは、そのことに不満で、怒っているという噂が伝わってきた。たまたま当時ロリンズにインタビューする機会があって、このマイルスの自伝について聞くと、やはりあまりいい表情をしない。というか、このマイルスの発言に納得しなかったようだ。ニューヨークという大都会で、その社会に溶け込むように育ったマクリーンやロリンズには、セントルイスという地方都市からやってきたマイルスというこのエリートの歯に衣着せぬような発言は、違和感を覚えるものではないだろうか。マイルスという才能は、ときに人を無視するようなそんなトゲのようなものがある。 もっとも、だからといってマイルスが冷たい人間というのは間違っている。それは何よりも、その演奏から伝わってくるものを正確に受け止めれば、誰でも簡単に分かるはずだ。その音からは、例えて言えば、泣くこともできないような、追い詰められた子供の小さな叫びのようなものが伝わってくるように思う。こういう表現者が冷たい人間であるわけがない。その獰猛な鋭い眼光は、その核心的なものに一歩でも近づくための厳しさの表情と言っていい。