マイルス・デイビスの黄金期はいつ? 独自表現獲得の軌跡がわかる味わい方
マイルスのファッションはオシャレと見るか? シャツも買えないほどの貧乏だったと見るか?
さて、今回の話題は、この当時のマイルスのファッションである。このプレスティッジ・レーベルの初期のマイルスのアルバムには、ふたつのマイルスの写真が採用されている。『ディグ』はシャツを着てないマイルスで、もう一つの『ミュージング・オブ・マイルス』は、帽子を被り、細かいストライプの入ったジャケットを着ている。しかし、よく見ると、この二つの写真は、同じファッションのように見えて仕方がない。一方にマイクも映っているから、どうもこれはある日のスタジオ風景なのではないだろうか。 その昔、ある高名な評論家が、『ディグ』の解説でジャケット写真に触れ、当時は不況の時代で、マイルスもシャツも買えないほど困窮していたと書いたことがあった。確かにこの1950年代初頭は、不況時代であることは間違いなく、ビ・バップ・ブームに沸いたニューヨークの52番街のクラブが次々と閉店し、マイルスなどの若いミュージシャンは、仕事の場が失われ、困窮したかもしれない。つまり、解説で言いたかったことは、このアルバムは、そんな時代の転換期の録音で、そんな状況の中で、マイルスら新世代は、確実に新しい時代のジャズと向き合っていたということだと思う。実際、マイルス、ロリンズ、マクリーンらは、その後着実にその才能を確かなものにし、数年後には、確実にジャズの新世代のヒーローになるのである。 とはいえ、シャツなしの困窮したマイルスというのは、仮に冗談にしても、大いに誤解を招く言い方であろう。前にモダン・ジャズ・ミュージシャンのファッションは、タキシードから普通にスーツになったと書いたが、けれど、その着方はまちまちで、それぞれ微妙におしゃれを楽しんでいた。そうした見方をすると、このマイルスのファッションは、貧しいマイルスというイメージとはまったく逆で、むしろ、他のモダン・ジャズ・ミュージシャンとは一線を画すマイルスらしい突っ張ったファッション感覚を伝える写真だと思う。全体にカジュアルな雰囲気で、おしゃれなアメリカン・トラッドのテイストがある。もしかしたら当時のブルックス・ブラザーズあたりの夏の新作ではないかなどと想像を逞しくするが、実際はどうなのだろう。 マイルスは、この時代、金銭的に困っていたということも、あまり想像できない。セントルイスの実家は、父は歯科医、母は音楽教師のいわゆる富裕層で、ニューヨークに送り出すときも、ジュリアード音楽院で学ぶというのが条件だった。マイルスは、エリートとしての自覚をもっていたし、また、だからこそ負けることのできない表現の戦いを人生の使命としたと言ってもいい。