送り火とコンプライアンス/島田明宏
【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】 先週の金曜日、岳父の新盆の送り火を、義母が住む横浜の家の玄関先で行った。「おがら」と呼ばれる、皮を剥いだ麻の茎を燃やしたのだが、風があったので、少し時間がかかってしまった。 実は私は送り火をしたのは初めてで、まったくやり方を知らなかった。信心深い親戚が多いのになぜかと思って調べてみたら、私の家の宗派である浄土真宗だけは送り火をしないのだという。亡くなった人の魂はすぐに極楽浄土へ行けるという教えのため、お盆に帰ってくるという考え方をしないようだ。 送り火を行う宗派でも、最近は環境保全のため、灯籠流しの数を絞ったり、下流で灯籠を回収したり、流すことをやめてしまった地域もあるらしい。 環境破壊が進んでいるからそうした動きが出てきたわけで、灯籠流しのせいで環境が悪化したわけではないはずだ。それでも、このご時世だと、SNSに個人が特定される形で写真をアップされ「環境破壊だ!」と叩かれる可能性もあり、やりづらくなってしまった。 このように、何らかの問題が起きたとき、主な原因ではないものに対する締めつけまで厳しくなるのは、どの分野においてもよくあることだ。 ただ、これがエスカレートすると、私権の制限にまでつながっていく恐れがある。 競馬界においては、ここ1、2年で騎手たちが起こしたトラブルのせいで、よりいっそう厳格なコンプライアンスの遵守が求められるようになっている。実際にJRAの内規が変わったかどうかまでは私の知るところではないが、空気は間違いなく変わってしまった。 仕方がないと思う部分もあるし、変わりすぎだと思う部分もある。 悲しい出来事からあまり時間が経っていないこともあって、今ここで多くを述べるのはやめておくが、ひとつだけ。たとえ相手が騎手という「公人」であっても、不特定多数の目に触れるところで、プライベートにまで踏み込んで批判するのは嫌らしいことだとわきまえるべきだ。 これに関しては、もう少し時間を置いてから稿をあらためたい。 さて、今週末は新潟2歳Sが行われる。それに関して、発売中の「週刊競馬ブック」の「サマー重賞メモリーズ」で、2004年にこのレースを勝ったマイネルレコルトについて書いた。紙幅の都合で書き切れなかったことに、ここで触れておきたい。 マイネルレコルトはその年の朝日杯FSも勝ち、2歳王者となった。しかし、生まれた年が悪かったと言うべきか、それが最後の勝利となる。3歳になった2005年初戦の弥生賞は3着、つづく皐月賞は4着、日本ダービーは5着だった。その3戦を勝ったのはディープインパクトだった。弥生賞のレース後、マイネルレコルトの主戦の後藤浩輝騎手が「ディープインパクトに並ばれたとき、威圧感を感じました」と語ったときの表情は、今も忘れられない。 実績によって世代の「王座」を与えられていたのは、彼が乗ったマイネルレコルトだった。マイネルレコルトは、新馬戦、ダリア賞、新潟2歳Sと3連勝し、京王杯2歳Sで5着となったあと、前述したように朝日杯FSを勝って弥生賞を迎えていた。それに対してディープインパクトは、新馬戦と若駒Sを勝っていただけだった。 が、プロの馬乗りとしての後藤騎手の肌感覚は、何より正しかった。 馬券の人気でも、ディープが単勝1.2倍の1番人気、マイネルレコルトは5.3倍の2番人気とすでに差がついてはいたが、真の意味で「王座の譲位」がなされたことを私が知ったのは、後藤騎手の言葉を聞いたときだった。 ディープインパクトと2着のアドマイヤジャパンの着差はクビ、マイネルレコルトはそこから1馬身1/4遅れた3着と、それほど大きな差がついたわけではなかったが、ディープインパクトの王座は揺るがぬものになっていたのだ。 後藤騎手について書くと、亡くなる少し前に会って話したことなどいろいろ思い出してしまうのだが、言いたいことはこれに尽きる。誰もが誰かを守っているし、誰かに守られている。それを忘れてほしくない。