14世紀欧州の「ファッション革命」とは、体を包む布が体の形になった現代メンズ服の原点
ファスト・ファッションの原型
劇的に変化したファッションは、宮廷文化を共有していた西ヨーロッパ全域に広がった。選択肢が増えたことで、珍しい織物や飾り物、衣服の市場が生まれ、産業が発達した。ヨーロッパではすでに確立されていた羊毛産業に加え、絹やダマスク織、ビロードなど、以前は外国から輸入されていた織物も、イタリアやベルギー北部などで生産されるようになった。 ファッションの周期も短くなった。「それまでは数百年かけて変化していた男性ファッションが、14世紀には10年ごとに変わるようになりました」と、ウィルソン氏は言う。「このシステムは現代でも続いています。今は変化の速さが極端になっただけです」
ブルゴーニュ風
15世紀に入ると、中世ファッションの中心地は裕福な街フランドル(現在のベルギー)にあるブルゴーニュ公宮殿へと移った。当時、西ヨーロッパ最大の織物の産地として、フランドルはファッショントレンドを牽引していた。 歴代のブルゴーニュ公爵のなかで最も重要な人物とされるフィリップ「善良公」(1396~1467年)は、黒を自分の定番色にしていた。1419年に暗殺された父親の喪に服していることを示す黒を着て、ファッションと自己表現を融合させたのだ。 身に着けるものは控えめだったが、フィリップ公の宮殿は豪華なことで知られ、ヨーロッパのベストドレッサーたちが自分のファッションを見せびらかすために集まっていた。ここでは、女性の頭飾りから男性の靴まで、細長く、先が尖ったシルエットが主流だった。14世紀に流行したダブレットは、腰がさらに絞られ、肩はパッドが入れられてさらに幅広になった。
女性のファッションも
フィリップ公の妹のアンヌもファッションアイコンとして、常に当時の最新ファッションを着た姿で芸術作品に描かれている。1430年の『ベッドフォード時祷書』には、黄色い地に、絡み合った赤い木の枝、緑の葉、青い実が描かれたウプランドと呼ばれる長いガウンをまとって祈るアンヌが描かれている。 男性ほどではないにしろ、女性らしいスタイルにも変化が見られた。足は相変わらず長いドレスで隠されていたものの、服の色や素材は豊富になった。首元は広いV字型で、袖先には縁飾りと紐があしらわれ、頭には細長い塔のような形をしたエナンと呼ばれる被り物を着けた。 エナンは、短くて頭頂部が平たいものや、長くて円錐形をしたものなどがあり、頭の後ろにはしばしば針金で支えた麻の布をベールのようにたらしていた。エナンには、背を高く見せ、額を強調する効果があった。