14世紀欧州の「ファッション革命」とは、体を包む布が体の形になった現代メンズ服の原点
つま先が5センチ以上の靴は最高位の貴族だけの特権
ファッションへの浪費が目に余るようになると、西ヨーロッパ諸国の権力者たちは古い倹約令を更新し、階級によって着用できる服を規制しようと乗り出した。 このような法律は以前から存在していた。最も古い倹約令は13世紀のアラゴン(現在のスペイン)王ハイメ1世の治世に発令されたもので、スリットやフリンジの付いた服を禁じていた。1322~25年のフィレンツェでは、樹木、花、動物、鳥などの絵や模様が描かれた服が禁止されていた。 しかし、衣服が複雑になるにつれて、法律も改善する必要が出てきた。なかには、地元の産業を保護するために外国製品の購入を制限した法律や、単に消費を抑えることを目的とした法律もあった。過激なファッションによって社会秩序が乱されることを防ぐために制定された法律もあり、こうした倹約令の前文では、しばしば伝統的な価値観の喪失について言及していた。 イングランドでは、服の数よりも、許容される布の費用を制限することに焦点が置かれた。また、先のとがった靴も標的にされ、14世紀半ばには最高位の貴族だけが5センチ以上のつま先の靴またはブーツを履くことができるという法案が議会で可決された。 倹約令の主な目的は階級制度の維持だったと、ウィルソン氏は考えている。「結局のところ、倹約令は、階級や地位があいまいになることへの社会的不安の表れだったのだと思います」
文=ANA MARÍA VELASCOANDBRADEN PHILLIPS/訳=荒井ハンナ