形より本質。ミズノのものづくりは人
スポーツで培ったものを生かせる
「小さな選手がいましてね。あの背丈でも活躍できるのかと思いましたが、選手紹介を見ると『185cm』と書いてある。まわりの選手が大きすぎただけ。『本当は小さくないやん!』と諦めました」 しかし収穫はあった。アメリカの練習スタイルに感銘を受けたのだ。 「アメリカでは選手がバラバラに集まって個人練習を始め、みんなでチーム練習をやったらまたポツリポツリと抜けていく。与えられたメニューをこなす日本と違い、自分で考えて自分でやるんです。やらされるわけではないから、モチベーションが高く、濃い練習ができる。自分もこのやり方がいいと思いました」 帰国後、ミズノに入社。型にはまることをよしとせず、自分で仕事をつくった。アメリカのブランドとライセンス契約して40億円の事業に育てたり、競技ごとに存在していたブランドを「ミズノ」ブランドに集約させるなど、新しいことにも挑戦した。反対する人もいたが、「社長の息子だから多少の無茶をしてもクビにはならん」と突破した。 06年に社長に就任。社員にも自由に挑戦できる環境を与えたかったが、矢先にリーマンショックが起きた。新しいことを始めても、消費者に認知してもらうためのプロモーション費用をかけられない。業績が伸びず、守勢に回る状況が続いた。 「潮目が変わったのはコロナ禍ですね。ゴルフやアウトドアが伸びる一方、スポーツへの枯渇感が増してコロナが落ち着いたあとは、どのスポーツも盛り上がった」 市場の変化は決算にも表れている。2024年3月期は、売上高が前期比8.3%増の2297億円、最終利益が44.4%増の143億円で過去最高を更新。社員が自由に挑戦できる環境は数年前から整え始めていたが、さらに加速させられる状況になった。 「スポーツで培ったものを生かせる分野はいろいろあります。ワーク市場はスポーツウェアの開発と同じアプローチができるし、BtoBのカーボンビジネスも期待が大きい。そのほかにも、いろいろ可能性はあるはず。好き勝手に提案してくれる社員がもっと出てきてくれるといいですね」 みずの・あきと◎1949年、兵庫県芦屋市生まれ。関西学院大学商学部在学中に米国留学。帰国後、75年ミズノ入社。76年関西学院大学卒業。千里事業本部マーケティング室長などを経て84年に取締役。2006年から現職。大のゴルフ好きで知られる。
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