「いつかはゴルフ部を」空き地から始まり、今や「チーム熊谷組」のエースとなった村橋さんにインタビュー【会社員ゴルファー紹介】
ゴルフしたくてもできなかった20年
やがて横浜国立大学ゴルフ部へ入るも、“空き地練”に明け暮れたゴルフ少年はちょっとした壁にぶつかる。打ち慣れていなかったドライバーがとにかく打てないのだ。 「入部当初はドライバーが全然打てなくて、バフィー(4番ウッド)でティーショットをしていました」 しかし子供時代、赤土のグラウンドや雑草茂る空き地で行っていた練習は、確実に村橋さんのショット感覚を磨いたのだろう。夏合宿を終わる頃には30台が出るようになり、早くも1年生でレギュラーの座を獲得。3年では主将を務めるに至った。 「大学時代はゴルフ漬けでしたが、就職後は土木施工の現場へ配属され、正直ゴルフどころではありませんでした。40歳で電力営業部に転属となるのですが、直後に東日本大震災が起こり、営業どころではなかったこともあって、結局しばらく現場に立ち続けていました」 復旧作業も落ち着き営業職へ。取引先との接待ゴルフの日々は「営業活動に大いに貢献した」と言うが、競技ゴルフの世界にいた心が完全に満たされることはない。かつて同社に実業団対抗の決勝戦でベスト10入りを果たした“名門ゴルフ部”が存在したことを知った村橋さんは、会社の仲間と大会に出場する道を模索し始めた。 背中を押してくれたのが、同社で専務執行役員を務める大野雅紀さん。村橋さんたちの気持ちをくんで社長に直談判した結果、活動費が一部、支援されることになった。
もっと上達して「いつかはゴルフ部」
「2021年に有志で日経カップに出たんです。楽しかった反面、とにかく緊張しました。地に足はついていないし、OBは打つはチョロするわ……(笑)。久しぶりの大会は89でした」 数十年ぶりとなる“チーム熊谷組”、個人では約30年ぶりとなる競技ゴルフへの挑戦は予選ブロック33位と散々な結果に終わったが、村橋さんには「いつかゴルフ部を再建したい」という夢がある。 「ゴルフ部の設立は課題だらけですが、同時に自分の実力を高めたい。久しぶりの試合で普段のゴルフをできなかった理由を考えたとき、やはりメンタルだと思ったんです。そこで最近はクラチャンや企業対抗の試合へ積極的に出場しています」 練習はできて週1、ラウンドは月2~3回。はっきり言ってHC6.3の実力を維持するのに精いっぱいだが、それでも挑戦はやめない。いつか「熊谷組ゴルフ部」の看板がスコアボードを飾る日が待ち遠しい。