「いつかはゴルフ部を」空き地から始まり、今や「チーム熊谷組」のエースとなった村橋さんにインタビュー【会社員ゴルファー紹介】
「週刊ゴルフダイジェスト」では、2024年8月20・27日合併号から会社員ゴルファーにフォーカスする連載「企業ゴルフ選士」がスタートしている。“選士”という造語は、戦うだけのゴルファーではなく、会社に認められ、選ばれたゴルファーだから。11月12日号に掲載した12人目の「企業ゴルフ選士」を「みんなのゴルフダイジェスト」でも紹介しよう。
「いつかはゴルフ部を作りたいと思っています」
熊谷組 電力営業部 総括部長 小学校低学年からゴルフを始め、大学時代はゴルフ部の主将を務めた。同社では本社電力営業部の総括部長として、大学時代に培ったマネジメント経験を生かし、営業マンとして辣腕を振るう。
熊谷組
創業126年のゼネコン。大型土木工事に定評があり、特にトンネル工事では高い技術力と実績を有し、関電トンネルなど最難関工事にも携わる。また当時世界最高となる台北101を建設するなど超高層建築も手掛け、近年では中大規模木造建築にも力を入れる。
熊谷組のエースは異色のジュニア上がり
村橋健一さんは小学校低学年でゴルフを始め、大学時代はゴルフ部の主将を務めた経験を持つ。現在は企業対抗戦や自身の所属する市原京急CCで倶楽部競技に参加するなど、さらなる上達を求めている途上だ。 と言うとジュニア上がりの競技ゴルファー像が浮かぶかもしれないが、村橋さんのゴルフキャリアはちょっと異色。 「近所に空き地があって、父がよくそこで(許可を取って)練習をしていたんです。最初は父の真似事で球を打っていたのですが、やっていくうちにどんどん楽しくなってきて。中学時代はこれまた近所にあったモトクロスの練習場が空いている時間帯に練習をさせてもらっていました。モトクロスのコースは赤土なので、しっかり打ち込まないと球が上がらず、ひたすらアイアンで打ち込んでいました。とにかく球を打つのが好きでしたね」 スウィングはもちろん自己流。シビアなライからショットを磨いていた村橋さんだったが、中高はゴルフ部がなかったことから中学は水泳、高校では水球部に所属しつつ、「もっと球打ちが上手くなりたい」という欲は消えることがなかった。