パタゴニアでは「責任ある行動」が連鎖する
パタゴニアは、もともと、手っ取り早く稼ぐためにつくられた会社で、リスクを取って環境問題を追求する内省的な会社をめざしていたのではない。もととなったシュイナード・イクイップメントはアルピニストのための会社で、世界一と評判のクライミング道具を作っていたが、ほとんど儲からなかった。石炭炉で金属を熱し、ハンマーでたたいてピトンを鍛造したり、押し出し成形したアルミニウムからチョックを切り出したりというきつい仕事を毎日10時間も汗水垂らしてするのではなく、事務仕事だけで簡単かつクリーンに儲けられる会社―それがパタゴニアだったのだ。ウェア事業なら高い金型を償却する必要もないし、顧客も、薄汚れたクライマーを相手にするよりはるかに幅広くなる。そのころは、コットンが石炭に負けず劣らず汚いなど、だれも知らなかった。 だが、ウェアをデザインし、作って販売するという「実際の」仕事をしてみると、事業者として担うべき責任があることが、少しずつ、いやでもわかるようになった。我々も最初から責任ある企業として歩んできたわけではなく、世界に害をなしていると気づき、そこを改善しようとくり返してきたのだ。 本書では、そのような気づきについても紹介していく(自然のものだからいいはずだと思っていたコットンが一番有害だとわかった瞬間など)。このような話を通じ、一歩進めば次の一歩、たいがいは一段複雑な一歩が可能になるとわかっていただければいいと思う―当たり前のようなことかもしれないが、大事なポイントだ。 ■1%の違いこそが、パタゴニアをつくっている シュイナード・イクイップメントでは生死にかかわる製品を取り扱っていたので、たとえば、ピッケルを販売するとき、髪の毛ほどの細い傷さえもないことを必ず確認していた。ラグビーシャツにも同じ基準を適用したが(ロッククライミングは皮膚がぼろぼろになりかねないスポーツであり、そこで使うラグビーシャツは厚くて丈夫でなければならない)、縫い目がほどけたからといって人が死ぬことはまずない。つまりパタゴニアは、我々にとって、ぬるま湯に浸って濡れ手に粟の利益を上げ、クライミングの事業を黒字にするという、いいかげんな会社だったのだ。 クライマーやサーファーという人種は自然を愛し、そのなかにいたい、自然の一部になりたいと強く願う。パタゴニアはもともとそういう人たちを相手に商売をしていたため、自分たちは一風変わった事業者なのだと思い込んでいた。30年前、飛行機で隣に座るスーツ姿の人々と語り合えることなどほとんどないと考えていた。 ところが最近は、そういう人々もスーツではなくパタゴニアの服を着ていることが多いし、デザインから在庫管理、材料不足が長期計画に与える影響まで、いろいろな話題で語り合うことができる。パタゴニアはほんの少し変わっているだけだとわかったのだ。人間とネズミでも遺伝子の99%は同一だそうだが、同じように、アマゾン・ドット・コム、エクソンモービル、ツイッター(現X)などなどとパタゴニアもそれほど違うわけではない。 ただし、その1%こそが、ここ半世紀、小さな違い、大きな違いであったし、今後はもっとそうであろう。我々はもともとがクライマーでありサーファーであり、自然と直接的にかかわってきた。だから、他社よりも早い段階で環境危機に気づき、行動を起こせたという面はあるだろう。また、株式が非公開なので、リスクが取りやすいという面もある。ともかく、我々が成功できれば、決まり事に縛られた他社もあとに続くことができるはずだ。 米国、欧州、日本などの都市部に住む人は、ここ50年で水や空気がかなりきれいになったと感じているだろうが、未開の地を訪れる人々の前には異なる光景が広がっている。クライマーが目にするのは融けていく氷河だ。釣り人は、天然魚が数も大きさも減じていること、さらに、酸素を消費する藻が農地から流出した栄養で増加していることを実感している。サーファーやスキンダイバーは、マングローブやサンゴ、潮だまりの生物など海辺のあれこれが失われていることを目の当たりにしている。 このあたりが気になっている人々はほかにもいる。たとえば科学者は、生物種が絶滅していく速度や、半減期が既存文明の存続期間より長い化学物質の蓄積が水や大気に与える影響を検討している。都市計画では、何千年も水をたたえてきた地下の帯水層が枯渇しつつあることが問題になっている。一網打尽のトロール船と競わなければならない個人漁師は、昔より沖合に出なければ食っていけなくなっている。農地は高価な化学肥料や殺虫剤を毎年まき続けた結果、表土が薄くなっているし、その地で代々積み重ねてきた知見が温暖化で役に立たなくなってきているしで、農家も苦労している。 自然を経験し、愛しているか否かが、パタゴニアと、たとえばエクソンなどとの小さくて大きな違いである。道路を離れて山や森に1~2キロも入ると、あるいは、沖合にこぎ出して風や波の力に向き合うと、なにかが変わるのだ。人工のあれこれに守られることのない自然界に身を置くと、自分など小さな存在だと思ってしまう。だが同時に、独立独行の気概が生まれる。自然の大きさに気づくとともに、自分のなかにも自然な部分があることに気づくのだ。 原生地と我々の多くが住んでいる都市部とがどうつながっているのかを、自然界での経験から理解しているのがパタゴニアである。健康な自然がなければ社会や産業が健康であることもできない―我々にとっては自明の理なのだ。
ヴィンセント・スタンリー,イヴォン・シュイナード