【献体写真SNS炎上】東大医学部の解剖学教授だった養老孟司さんは「年に1回、供養に行きます」…女性美容外科医の“不謹慎”解剖実習が物議
伝わってくるのは、献体してくれた人への、一言では簡単に表現できないような感情である。次のような気持ちも綴られている。 「私は年に一回、献体の供養に行きます。これも、解剖させてくれた人たちへの気持ちを何とか自分の中で収めようとする行為です。特定の相手ではないにせよ、『私がやらせてもらいました』と謝りにいくわけです」 当然ながら、解剖そのものは合法であり倫理的に問題があるわけでもない。医師にとって「重要な意味を持つ」という麻生医師の主張を否定する者はほとんどいないだろう。しかし、それでも養老さんは供養に行くことにしていた。続けて解剖学教室時代のエピソードが披露される。 「まだ私が東京大学の解剖学教室にいるときの話です。解剖を進めていって、最終週に入った日に、一人の学生が花を一輪、机の上に供えたのです。普段は、そういうことは誰もやりません。が、私は『ああ、いいことをするな』と思って感動したのです。 その翌日、教室に行くと今度は全員の机の上に花が一輪、供えてありました。教室の机の上に一輪挿しがずらりと並んでいたのです。『何も言ってないのに、学生も捨てたもんじゃないな』と思いました。東大にいる間で、一番感動した瞬間です。 彼らは解剖をしていくうちに、どこかで他人の痛みを背負うということが身についたのだと思います。こういう気持ちというのは強制できるものではないですし、教えるものでもないと思います。人間ならばもとから持っているはずのものだろうと思いたいところです。このへんは私は性善説なのかもしれません。 医者ならば今でもこういう人の死に関係した経験を嫌でもするわけです。しかし、人の生死に関わっているという意識がないままに『エリート』になってしまう人が多い。だから、患者を人ではなくて、カルテに書かれたデータの集積、つまり情報としか見ない医者が増えた。これが困ったことだと思うのです」