「お前はどうしたい?」しか言わない上司の自己満足 「考えさせる風」コミュニケーションが招く悲劇
優越感に浸りたいだけ?
第3に、答えを教えるべきなのに優越感に浸りたいパターンだ。このパターンが厄介である。 「お客さまから財務分析をしてくれと言われました。資料作成についていろいろと教えてください」 部下からこのような相談を受けたとしよう。しかしマウントをとりたい上司は、こう尋ねるのだ。 「お前はどうしたい?」 と。部下が財務分析に関してそれなりの知識、経験があるのならこのように考えを促してもいいだろう。しかしもし前提知識や経験が足りない場合は、考えようがない。 「どうしたい? と聞かれても、まったく経験がないんで」 「あれ? 社内研修で習っただろ?」 「研修で習いましたけど、基本的なことしか教わってません」 仮説も立てられないような部下であれば、答えを教えてあげるべきだ。 「まず直近3期の財務諸表を準備してくれ。そして企業の状況を把握したあと、安全性分析から始めるか、それとも収益性分析や生産性分析でいくか決めよう」 このように助言すれば、 「分かりました。まずは財務諸表を準備します」 と部下は答えられる。さすが上司だ、明確なアドバイスをもらえた、とホッとするだろう。反対に、 「お前はどうしたい、と俺は聞いてるんだ」 と言い続けたら、どうか。部下の安心安全の欲求は満たされない。一歩間違えれば「ハラスメント」と受け止められる可能性もある。
自己満足を味わう上司たち
前述した通り、部下に「お前はどうしたい?」と尋ねる上司の中にも、いろいろいる。キチンと部下の成長を考えて問いかけている場合もあれば、アドバイスするのを逃げる場合も、マウントをとりたい場合もあるのだ。 ただ、どのケースであっても「お前はどうしたい?」と問いかけている上司が「上から目線」的であることは間違いない。本人にそのつもりはなくても、部下からすれば、 「どうしてアドバイスしてくれないんだ?」 「ひょっとして課長も分からないから?」 「優越感に浸りたいだけ?」 と疑念を抱いてしまうこともあるだろう。 質問とは、分からないことを尋ねること。設問とは、問題を設定して尋ねること。問いとは、お互いが分からないことを尋ねることだ。